有名な都市伝説ですが、東京にある平将門に関係する場所をつなげるとある形になるんですよね。
徳川家康が江戸を護るために平将門のパワーを利用しようと、将門が信仰していた妙見菩薩が北方の守護神だったことから、将門に関係する場所を「北斗七星」になるように結界を作って江戸を護り、世界に類のないミラクルピースが訪れたそうです(という都市伝説)。
で、徳川幕府を倒した明治政府は家康の作った結界を良しとせず、新しい結界を作っただけでなく、北斗七星の結界を「鉄で引き裂きます」。
その〝鉄〟というのが山手線でした。
重ねるとこんな感じ。
赤=将門の北斗七星、青=明治政府の結界、緑=山手線
いやいやいや!見事にぶった切られてますな!
更に「これでもか!」と兜神社と鎧神社という、「兜(首)と鎧(胴体)」をぶった切るという念の入りよう。
ちなみに山手線完成直前にあの大災害が東京を襲います。
関東大震災でした。
この際、築地本願寺が損壊し、明治政府の結界が崩れます。
後年、東京は壊滅的な攻撃を受けます。
東京大空襲でした。
この際、B29は築地本願寺の方向から飛んできたと言われています。
まぁ、都市伝説はさておき、せっかくだからこの北斗七星+輔星の8ケ所を
巡ってまいりました。まずは輔星からご挨拶です。
いや~、さすが歌舞伎町。朝早いにも関わらず、お肌の露出の高いお姉様がいっぱいいらっしゃいましたが、気をしっかり持って参拝してきました。
「鬼王」とは将門の幼名・鬼王丸に由来するという説があります。(正式な記録には記されていませんが)
将門の鎧が埋められているという伝説のある神社です。新宿とは思えない気持ちいい清々しい空気でした。
ここから北斗七星を辿ってまいります。
将門調伏に関係していると言われる神社で、高田馬場らしく忠臣蔵で有名な堀部安兵衛に関する碑も近くにありました。
神楽坂を上ったところにある神社です。
なぜか将門を合祀して「地主神」になっているようですが、公式資料には記されておらず、思惑や経緯がミステリーな神社です。
元々は現在の将門塚(首塚)や皇居付近にあった神社ですが、徳川家康によって現在の場所に移ったらしいですね。
ここには将門の胴体が眠っているとされ、「神田」というのも将門の体=カラダが訛って神田になったとも言われています。
ちなみに本日、唯一ご朱印を頂けた神社でもあります。
北斗七星の順路でいえば、次は将門塚(首塚)なんですが、そこは最後に行きたかったので鳥越神社へ。
「将門の首が飛び越えた」ことから鳥越と呼ばれるようになった土地に鎮座する神社です。
日本の株取引の聖域とも言える兜町の名前の由来にもなった、将門の兜が埋められたとされる神社ですね。平日なら証券関係者で賑わっているのでしょうが、
さすがに休日は静まり返っていました。(当たり前か)
さぁ、残るは「あの聖地」です!
将門公の首塚(将門塚)
心霊系の番組などでは心霊スポットなどと言われていますが、心地よい場所に
思える場所です。ビジネス街のど真ん中のような場所で、今でも静かに佇んで
いる印象なんですよね。
いつの間にか、石碑にケースが被っていました。
いつもお花や参拝客が絶えない場所です。怖さは一切感じませんね。
この碑の前に立つと、ただ手を合わせて「安らかに…」という気持ちです。
これで北斗七星と輔星を巡る旅は終わりです。
僕は寺社仏閣を訪れるのは正午前後まで、と決めてるので時間の関係上、ご朱印を頂いたのは神田明神だけでした。
それがこちら。
・・・え?
書置きとはいえ、ご朱印にまさかのカラー印刷?
年賀状じゃないんだから。。。(二枚目はその場で押印して頂きました)
ちなみに、以前に頂いたご朱印がこちら。
まぁ、人気の高い神社だし、ご朱印ブームだし、七五三のシーズンで忙しいだろうし、境内が工事中だし、なにかと忙しいのでしょう。
うん、そう思うようにしよう。
いずれにしろ、三連休最後の日はやり遂げた感に溢れた、充実した一日でした!