初めましての人は初めまして!いつもはクリスペの記事を書いているカラットです!
皆さんはボーカロイド曲は聴いていたりしています?通称ボカロですが私は普段から聴いています!
私は兄貴に感化されて好きになりましたが、そこで話題になったのが『今のボカロよりも昔のボカロが好き』ということです
私も今のボカロよりもルカルカナイトフィーバーのような昔のボカロが好きです
そこで今回は今と昔の違いを考えていきたいと思います!
この記事は今のボカロを批判的な文章に取られやすいと思いますが、あくまで違いと意見を出しているわけで悪意はありません
そして、この記事は昨日の夜遅くまで、深く熱く語り合ったことを忘れないようにするために書きましたので批判的なコメントはおやめ下さい
せめて意見的なコメントでお願いします
なぜか昨晩で兄貴とボカロの話になりましたが、ここで私は色んな名曲を聴いてみることにしてみました。そして、そこから今と昔の曲をじっくりと聴き比べてみるとある発見をしました
それは…
に違いがあるのではないかと思いました
※⑦が特に重要と感じた
まず私はルカルカナイトフィーバーとKINGを聴き比べてみました。そこで最初に気が付いたのはリズムでした
ハッピーシンセサイザーもメルトも昔の曲は軽快なリズムです
今の曲でヴァンパイアやKINGはのっぺりとしたリズムな感じがします
そこで私は軽快なリズムの昔のボカロが好きなんだなと気づきました
そして、さらにじっくりと聴き比べたところテンポの速さが違うことに気が付いたのでした
今の曲はなんだか速い…そして昔の曲は朗読するような速さだと感じました
この朗読するような速さは⑦で大切なことになるとは思いもしませんでした…
分かりやすい例はアウノウン・マザーグースだと思います。サビの前で「さあ!さあ!もう少しでサビだぞ!」と盛り上がるようにテンポが速くなります。それなのにサビになると急に静かになってしまいます
私が好きな快晴でも一番と二番のサビのメロディーと音程が少し違っていて楽しめるような構成になっています
ではKINGやヴァンパイアにグッバイ宣言だとどうなのかと聴いてみるとリズムが一定でメロディーなどの曲の構成に変化が見受けられない気がしました。そこまで曲の構成が工夫されているようには見えませんでした
これは物語性にも違いを出していました
曲の構成と物語性には少し似ているような感じがしました
深海少女は冒頭で
「悲しみの海に沈んだ私 目を開けるのも億劫
このままどこまでも堕ちて行き 誰にも見つけられないのかな
どこへ向かい、何をすれば? ふと射し込む一筋の光
手を伸ばせば届きそうだけど 波に拐われて見失った
あれは一体なんだったのかな あたたかくて眩しかったの
無意識のカウンターイルミネーション 嘘つきは誰?」と
サビの前で場所、人物、人物の現状、心情などがすぐに分かるのに対し
KINGは物語性が見えてこない…分かりにくいところがあります
物語性での分かりにくい…すなわち伝わりやすさが今の曲にはないと感じています
どちらかと言うと今の曲はカッコよさ重視での作曲となっていると思います
・KING
「幽閉 利口 逝く前に
ユーヘイじゃ利口に難儀ダーリン
幽閉 ストップ 知ってないし
勘弁にしといてなんて惨忍」
・深海少女
「悲しみの海に沈んだ私 目を開けるのも億劫
このままどこまでも堕ちて行き 誰にも見つけられないのかな」
「あたしヴァンパイア
いいの?吸っちゃっていいの?
『もう無理もう無理』なんて 悪い子だね
試したいな いっぱいで吐きたい まだ絶対いけるよ」
こうして冒頭を見てみると深海少女は「悲しみ」と「海」に「沈んだ私」に「このままどこまでも堕ちて行き」の数語でどんな現状と心情にどんな場所か分かります
ヴァンパイアは「あたし」と「吸いたい」に「悪い子だね」と人物と吸いたいという気持ちしか伝わってこないです…
KINGは単語ばかりでなんやら…
このようにはっきりと伝わりやすさと物語性に違いが出ていることが分かります
伝わりやすさを見てみると何かに引っかかる…そして歌詞を見てみると
明らかに歌詞が全然違っていたのでした
先ほどの曲の歌詞を見ていて分かるのが昔の曲は文章のような歌詞になっている…
ここでルカルカナイトフィーバーをもう一回見てみました
「右から左へと言葉が流れる 退屈そうな顔 画面見つめる君
次元の壁越えていつでも逢いに行く 心の準備をちゃんとしておいてね」
すると昔の曲は文章のような歌詞ばかりでした
KINGもヴァンパイアも文章というよりかは単語、単語が連なっている歌詞になっているとは思いませんか?
そしてKINGで分かりますが韻を踏み過ぎて物語性がないと感じます
ルカルカナイトフィーバーの歌詞は全然韻を踏んでいないので伝わりやすさに力を入れているとは思いませんか?
そして④~⑥のことを踏まえると見えてくるものがあります
それが人物についてです。この違いが今と昔の曲で大きな差を生み出しているのではないかと思います
例えばみくみくにしてあげるやルカルカナイトフィーバーは語りかけてくるような感じがします
それでは歌詞を見てみましょ
「科学の限界を超えて私は来たんだよ ネギはついてないけど出来れば欲しいな
あのね、早くパソコンに入れてよ どうしたの?
パッケージずっと見つめてる 君のこと」
「次元の壁越えていつでも逢いに行く 心の準備をちゃんとしておいてね
君のこと誰よりも分かってる だから私に任せて
怖がらないで二人で踊りましょう」
どうです?明らかに語り掛けるような感じがしますよね
ここでグッバイ宣言の歌詞を見てみると
「引きこもり 絶対 ジャスティス 俺の私だけの 折の中で
聴き殺してランデブー 俺の私の音を キミが包むだけ」
見て分かると思いますが語り掛けることよりも自分の主張が激しい感じですよね
そして昔の曲の朗読するような速さと語りかけの関係していることは聴きやすい速さにすることで語り掛ける時に「優しく語り掛けてくれている」と感じ取れると思います
それにプラスして軽快なリズムで優しく語り掛けられたらついリズムをとってしまいますよね?とくにルカルカナイトフィーバーがそんな感じですね
全ての違いをまとめると昔の曲はなぜ中毒性が高いかと言いますと
と見解が出ました
もちろん今の曲も素晴らしいとは思います。ですが私は今の曲に中毒性がなく昔の曲の方が好きですね
ここで問題なのが
・ブリキノダンスはKINGのように単語が連なった歌詞なのに中毒性が高いこと
・サラマンダーは語り掛けてくる曲なのに私はどうしても中毒性がないと感じてしまうこと
なぜブリキノダンスと天ノ弱はテンポが速いのに中毒性が高いのか
まず昔のボカロは自己主張が激しくないことで誰にでも当てはまる。すなわちどんな人にでも受け入られやすいのではないかと思います
ヴァンパイアだと『私は吸血鬼で君の全てを吸いたい』と
ヴァンパイアは自己主張が激しい。私は吸血鬼ではないので吸いたいという感情移入しずらい部分があります
ですがブリキノダンスの場合は自己主張することが少ない
天ノ弱は自己主張があっても誰にでもある失恋の気持ちを歌っているので色んな人から受け入られやすいと感じています
ブリキノダンスはKINGのように単語が連なった歌詞なのになぜ中毒性が高いのか
やはり軽快なリズムと自己主張が激しくないことで色んな人が楽しめるのではないかと思います
サラマンダーは語り掛けてくる曲なのに私はどうしても中毒性がないとなぜ感じてしまうのか
これは曲の構成が工夫されているようには見えないからだと思います
ワールズエンド・ダンスホールを聴いてもらえれば分かりますが急にテンポが速くなって一定のリズムがない。すなわち色んなメロディーを楽しめることでその曲を楽しめるのではないかと思います
結論、どうして昔の曲は中毒性が高いのかと言いますと
だからではないかと思います
もちろん全ての昔のボカロがそうではありません
ですが私からすれば※の曲が昔の主流だったのではないかと思います
でしたら『なぜ今は個性のない曲が多いと感じる』のかと兄貴と考えたら
と思いました
シューベルトはベートーヴェンを超えようと奮闘して作曲をしましたが、あまりにもベートーヴェンの曲が凄すぎて超えられない
それがボカロに言えるのではないかと思います…
もちろんこの記事で書いたことはあくまでも私と兄貴が感じたことや考察したことであり、必ず正しいということではありません
それに私の低文章力で勘違いさせている可能性もあるので真に受けないでほしいです