ども!kassyです。
まず京都の神社記事を書かないのですが、久々に仕事(?)で京都に行ったついでに時間調整で参拝した神社の記事を書きたいと思います。
今回参拝したのは、京都御苑西に鎮座する「護王神社」
奈良時代末期から平安時代初期に活躍した貴族、和気清麻呂と姉の和気広虫を祀る神社です。
称徳天皇の時代に権力をふるった弓削道鏡が自ら天皇になるため、「自分が天皇になれば天下泰平になる」との神託を宇佐八幡にて得たとのウソをついたのだが、その神託の真偽を確認するため派遣されたのが、この神社の主祭神である和気清麻呂であった...
宇佐八幡宮で神に確認したところ嘘であることが判明し、天皇家の歴史を守られた訳だが気に入らないのは弓削道鏡!
権力を振りかざし、和気清麻呂に有らぬ罪を擦り付け大隅国(鹿児島県)へと左遷されると同時に名前まで清麻呂から穢(けがれ)麻呂へと改名させるという暴挙に出たのだwww
道鏡の暴挙はこれに止まらず、左遷で大隅国へ向かう和気清麻呂に刺客を派遣し、襲わせ足に大怪我を負わせたのだ...
大怪我を負った清麻呂だったが、左遷の道中、宇佐八幡宮へと立ち寄るため豊前国に差し掛かったところで猪の大群に遭遇し、猪に護られながら宇佐八幡宮まで到着。着いた頃には足の傷も完全に癒えていたという伝説が残っている。
清麻呂と猪の深い縁は護王神社にも残されている。通常、狛犬がいるべき場所に護王神社では猪が脇を固めているのだwww
そんな和気清麻呂も称徳天皇の崩御後、後ろ楯を失った道鏡は失脚し、完全復活を遂げる!
清麻呂の死後正三位を贈られたが、それよりも高い位階を明治時代に贈られている。
天皇中心の政治体制に戻った明治時代に天皇家を護ったという点が高く評価されての贈位だと思うが、戦前の評価は別格だったようだ!
当時の紙幣にも和気清麻呂と護王神社は登場している。
紙幣に印刷されている神社の現在がコチラ
中々重厚感のある素晴らしい神社でしたよ!
それでは今回はこのへんでwww