ども!kassyです。
結構、挑戦的なタイトルにしてみましたが、暗号通貨関連の話題ばかり書いたってネタ切れするの目に見えてるし、たまには視点を変えて書いてみたいと思います。
今回、いいね!の数なんか完全無視で大好きな歴史関連で書いてみたいと思います。 「仮想通貨関連縛りに反するんじゃねぇの??」て思うかもしれませんが、「歴史を学べば、未来が見えてくる!」「古事記だって立派な古代の管理台帳だよ!」ていう強引な論法で進めていきたいと思います。
そもそも、ALISいいねランキングだって、細かく分類すれば仮想通貨関連じゃないからねwww
■ 古事記ゆかりの人物を訪ねて・・・
今回、古事記な中身は完全無視で古事記ゆかりの人物の痕跡を訪ねてみた・・・古事記と言えば日本最初の歴史書と言われてますが、個人的には「半分フィクション」な伝記的なものと認識している。神話の部分も結構あり全てを真に受けるわけにもいかないので物語と考える方が自然かもしれない・・・
但し、歴史的な事象を誇張してるだけの部分もあるので、全てを否定するのではなく読み進める書物だと個人的には考えてます。
前書きはこの辺にしといて、今回訪れたのは古事記編集者である太安万呂と稗田阿礼を祀る神社2件です・・・
まずは、太安万呂(おおのやすまろ)から・・・
太安万呂とは、1300年以上前に古事記の編纂に携わった歴史上の人物です。 奈良県磯城郡田原本町多に多神社(おおじんじゃ)が太安万呂を祀る神社になります。面白いのが漢字こそ違えど、未だに出身地の地名に(おお)の文字が残っていること! 午前10時くらいに訪れましたが、参拝者は私ひとりで地元以外、あまり知られていない旧跡なのかと思います。当然、由緒正しい歴史ある神社で延喜式内社でもあります。
続いて、稗田阿礼(ひえだのあれ)について
稗田阿礼も、太安万呂と一緒に古事記の編集に携わった一人。稗田阿礼が口伝されていた日本の歴史を太安万呂が書物に仕上げたという関係性のようです。おそらく歴史の教科書で学んだことはあるんじゃないでしょうか・・・
稗田阿礼を祀る神社は賣太神社(めたじんじゃ)といい、奈良県大和郡山市稗田町にあります。ここでも地名として残っているんですね・・・
地名にも歴史があり、深く掘り進めていくと新たな気づきになると思いますよwww (明治期に変更された地名もあるので要注意ですが・・・)
何故、今回この二つの神社を選んだかというと、約1300年も前の本が今でも書店に並んでること、研究の対象となっていることに加え、これらの人達によって書物として残してくれたからこそ、今日の日本があるわけですから・・・
「温故知新」て言いますからね!時代が変わりテクノロジーが進んでも、日本人のアイデンティティはここにあるわけですから・・・
これからも大切にしていきたいものです 笑
(マジで通報されるかもしれぬ・・・・・・・w)