日記を書きはじめてから、今日で10日目です。
昨日の日記は、こちら。
今日もお昼ご飯を買いに行った以外は、リモートワークで過ごした1日でした。
お昼ご飯は、近くのお弁当屋さんへ。
個人でやっているお店で、今まではなんとなく見過ごしていたのですが、せっかくテイクアウトの機会が増えたので…ということで、はじめてお弁当を買ってみました。
妻の日替わり弁当(豚しゃぶ弁当)500円と、僕の唐揚げ弁当、450円。
ご飯、お漬物、主菜、副菜(がんもどきと大根の煮物)というシンプルなお弁当でしたが、なかなか美味しかったです。
こういう状況になって、新しく発見することもありますね。
日替わり弁当、どれも美味しそうなので、しばらく通うことになると思います。
で、お昼ご飯を食べて少し仕事してから、研究仲間とオンラインコーヒーブレイク。
使ったサービスが、こちら。
欧米でオンラインコーヒーブレイクが流行していたことに注目して、日本では「オンライン飲み会」がフィットするだろうと、WherebyのAPIを基に作られたようですね。
愛犬が急に体調を崩したときにすぐに車で病院に行けるよう、お酒を飲むことは控えているのですが、コーヒーブレイクならいいかなということで、研究仲間に声をかけて開催しました。
はじめてオンラインでやってみましたが、なかなか楽しいものですね。
コーヒーブレイク、のはずが、だらだらと2時間ほど喋ってしまいました。
何故だか分かりませんが、こういうご時世でみんな人と会う機会が減っているからなのか、会話が止まりませんでした。
で、オンラインでいろんな話をしたのですが、そのときに話題になったことのひとつに、「オンラインではない方法で今の状況を打開できないか?」ということです。
というのも、僕たちがいる大学教育もそうですが、あらゆる動きがオンラインに移行している、またはオンラインに移行することが求められています。
もう少し言葉を選ばずに言えば、半ば強制的にオンラインへの移行を余儀なくされているという雰囲気を感じます。
そこにはもちろん、積極的にオンラインへの移行を進めようという動きもありますが、同時に、仕方ないからオンライン、急場しのぎにオンラインという場合も多々あるように思います。
僕自身は、こういう新しいことに興味も関心もあるので、どちらかというと積極的にいろんな方法を学んで、自分の授業に活かしていきたいなと思うほうです。
とはいえ、というか、それだけに、今のように強制的にオンライン、または、なんとなくオンラインみたいな流れがあまり好きではありません。
というか、楽しくありません。
こういうことは、その人が楽しいとか面白いとか思わないと、上手く進まないと思うんですよね。
同時に、教育学を専門として学んでいる立場の人間としては、方法や環境が変わると当然、教育の中身や質が変わるものだと考えます。
その前に、そもそも教育を通じてどんなことを学んでほしいか?どんなことを身につけてもらいたいか?という教育の目的がまずあって、そのうえでどんな方法で教育を行うのかということが考えられるべきだと思います。
そう思うと、今は教育の目的も「どうなってほしい、どうしたい」という思いもなく、「とにかく、オンライン」という動きばかりに意識が向いているように感じます。
もちろん、だからといって旧態依然とした対面授業・一斉授業が良いというわけではありません。
でも、少なくとも、世界中でリアルな場での対面授業が100年以上も行われてきたということには、単なる技術的制約には止まらない積極的な理由があるはずです。
それは子どもたちへの「教育効果」ということもできますし、そのような教育を受けてきた人たちがこれまでの社会を作り、もちろんいろいろな問題を含んではいますが、基本的にはそうした今までの人たちが作ってきた社会の上に、僕たちは生きています。
そうした事実を、僕は大切にしたいと思います。
同時に、オンラインでの授業にもこれまでの教育の方法とは違う可能性があるはずですし、そのことはここ最近、いろいろと実感をしているところです。
今はこれまでの教育が新たな教育の形へと移り変わっていく過渡期にあって、それが今日の平常ではない状況のなかで、少し早く進んだと言えるのかもしれません。
ただ、当たり前のことですが、リアルな対面授業が「悪い」わけでもないし、オンライン授業が「良い」わけでもありません。
そんなことを考える暇もないぐらい、教育現場は対応を迫られていますし、そんなことをグチグチ言っているから、オンライン授業が普及するせっかくのチャンスを逃すんだと批判されるかもしれません(し、実際にそんなことも言われました)
さっきも書きましたが、僕自身はオンライン授業のような新しいことには興味も関心もありますし、実際に自分の授業にも取り入れています。
学生さんにもきっと、これからの社会のなかで生きていくうえで、大切な経験になると信じています。
ですが、新しい方法を取り入れるときには、必ず、それがどんな教育の目的のもとで必要で、学生さんにどうなってほしいか?どんな経験をしてほしいか?ということを考えます。
そうした思いもなく進む「とにかく、オンライン化」の動きには、やっぱり違和感があります。
結局のところ、「教育とは何か?」という問いに突き当たります。
大学は学生さんに、これからの社会を担う若い人たちに、学びたいと思って入学したすべての世代の人たちに、いったい何を学んでほしいのか?
僕たちは、学生さんにどうなってほしいのか?
そういう問いの無いままに、方法をめぐる議論ばかりしても仕方がないんじゃないのかな…
だからと言って、今の僕に「対面でもオンラインでもない」方法で、しかも学生さんの教育機会をきちんと保障することのできるベストな方法が思い浮かんでいるわけではありません。
ただ、たとえば、今のような状況が30年前に起こっていたらどうなっていたのか?ということを考えることは、ムダでしょうか。
「オンラインに移行」なんてことが夢にも想像できないような状況のなかで、今のような問題が生じていたら、僕たちはどうしていたのでしょうか。
シンプルに、教育を止める?
そんなわけにはいきません。
今の教育は、今の子どもたちにとっては、今しかないものです。
「教育保障」が大切というのは、そういうことに注意を向けるということです。
リアルな対面授業ができないからといって、教育を止めるわけにはいかないんです。
では、どうするか?
…
今日は答えが出ませんでした。
考え続けます。