台湾・香港・中国には、同じ時間を過ごした友人がたくさんいます。
喜怒哀楽を共にした友人とは、なかなか会うことは叶いませんが、今でも連絡を取りながら、いつかの再会を願いつつ過ごしています。
そんな友人が暮らす場所で何か起こっているか…なにかと気に懸かるのは、自然なことですよね。
今、香港では「逃犯條例(逃亡犯条例)」の成立をめぐる動きが社会全体を大きく揺るがしています。
昨日、2019年6月9日には最大規模の抗議行動が展開され、多くの香港市民が街頭に足を運びました。
明日、同年6月11日にも大規模な抗議行動が予定されているようです。
関連するニュースは日本語メディアでもいろいろと報じられていますので、ここでは詳細は書きません。
…というより、香港の友人の顔、だけではなく、その動きをいろいろな思いで眺めているはずの台湾や中国の友人の顔も浮かぶだけに、僕には客観的に、大上段から、このニュースを語ることはできません。
ましてや、現場にいるわけでもない僕が、その意味と影響を語るなんて大それたことができようはずもありません。
でも、教育に関わる人として、教育に関することだけは書き留めておきたいと思いました。
というのも、今回の動きに限らず、香港の「民主化運動」は歴史的に、大学生がその重要な一端を担ってきたからです。
香港の大手紙『星島日報』は、2019年6月11日に香港の主要な高等教育機関の学生団体が共同記者会見を開き、明日6月12日に予定されているストライキへの参加を呼びかけたと報じています。
ストライキのために授業をボイコットすることを中国語で「罷課」、仕事をボイコットすることを「罷工」といいます。
こうした学生のボイコットの動きに対して、行政機関や教員組織はいろいろな声明を発しています。
教育行政を担う「教育局」は明確に、「いかなるボイコットの主張に対しても反対する(反對任何罷課主張)」という姿勢を打ち出したようです。
合わせて、教育局はボイコットを呼びかける団体や個人に対して、「極めて無責任な行為(極不負責任的行為)」と批判していると報じられています。
また、香港の学校教員を中心メンバーとする「香港教育工作者聯會(教聯會)」も教育局と歩調を合わせるように、「学術界がボイコットの動きを起こすことに強く反対する(強烈反對學界發動罷課罷考)」ことを表明したということです。
「政治は政治へ、教育は教育へ(政治歸政治,教育歸教育)」というフレーズのもとで、ボイコットへの参加を考えている学生と、参加を呼びかける周囲の人々の双方へ、冷静な議論への回帰を呼びかけているようです。
こうした動きに対して、香港の中学校の校長を中心に組織されている「香港中學校長會」も、『明報』の記事によれば、「先生や生徒がボイコットによって主張をすることに賛成しない(不贊成師生以罷課表達訴求)」ことを表明しています。
「反對」とはっきり表明するのではなく「不贊成(賛成しない)」という表現になっているところに、教育局や教聯會との立場の違いが滲んでいるように感じます。
同時に「政府が立法の動きを一旦止めることを期待する(期盼政府暫緩立法)」ことに言及しているところに、今回の動きに対する距離の取り方がうかがえます。
冒頭にリンクを貼ったロイター日本版の記事によれば、香港の行政のトップである行政長官の林鄭月娥さんが、「学校、保護者、団体、企業、労組に対し、こうした過激な行為を擁護している場合は、真剣に考えるよう求める」と表明したこともあり、行政機関はもとより、教員組織も以上のような姿勢を採っているといえそうです。
ただ、これまでも香港の民主化を担ってきたのは大学生や教員を中心とする教育関係者だったことは、こうした組織にいる人たちもわかっているはずです。
それだけに、こうした呼びかけには複雑な想いが滲んでいます。
「社会を守ること」と「学生を守ること」の両端に、その想いは揺らいでいると感じます。
いや、これは少し、勝手なことを言い過ぎたかもしれません。
人の想いの本当のところは、その人にしかわかりません。
そうした気持ちと、香港の友人がいる中で大きく動く社会とのあいだで、僕は僕と同じように事態を眺めている台湾や中国の友人とともに、ただ無事を願って祈るしかありません。
祈禱香港朋友平安。