2019年12月の終わりに、東京外国語大学出版会から倉田徹・倉田明子編『香港危機の深層ー「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえー』が出版されました。
友人からオススメされて早速読んでみたのですが、「緊急出版」として急遽まとめられたとは思えないほど内容が充実していましたので、感想を書き留めておきたいと思います!
書誌情報は東京外国語大学出版会のウェブサイトに掲載されています。
もくじ(カッコ内は執筆者)
はじめに(倉田徹)
第1章 逃亡犯条例改正問題のいきさつ ―法改正問題から体制の危機へ(倉田徹)
第2章 香港における法治、法制度および裁判制度(廣江倫子)
【コラム】香港終審法院 ―法治の守護者(廣江倫子)
第3章 「一国二制度」の統治と危機 ―複雑化する政治と社会の関係(倉田徹)
第4章 香港に見る格差社会の『機会』の変容 ―若者の社会的階層の移動から(澤田ゆかり)
第5章 ネットがつくる「リーダー不在」の運動―通信アプリ「テレグラム」からみる運動のメカニズム(倉田明子)
【コラム】対外アピールの場としてのツイッター―周庭氏インタビュー(倉田明子)
第6章 香港人アイデンティティは"香港独立"を意味するのか?―香港"独立"批判と"自治"をめぐる言説史から(村井寛志)
【コラム】世界都市の舞台裏 ―マイノリティたちの苦悩(小栗宏太)
第7章 わたしの見てきた香港デモ(小出雅生)
第8章 香港ハーフから見た香港人の絶望と希望(伯川星矢)
【コラム】香港デモの記号学―パロディ、広東語、ポップカルチャー(小栗宏太)
第9章 新界、もう一つの前線―元朗白シャツ隊事件の背後にあるもの(小栗宏太)
【コラム】村と祭りと果たし合い―新界の「伝統」から考える元朗の白シャツ集団(倉田明子)
第10章 共鳴する香港と台湾―中国百年の屈辱はなぜ晴れないのか(野嶋剛)
「はじめに」によれば、執筆者は香港研究で発信を続けている倉田徹さんを中心に、「香港史研究会」で交流のある方々が名を連ねているそうです。
出版の計画が立ってからわずか4か月ほどで出版にまで至ったということですが、もくじを一覧しただけでもわかる充実ぶりに、ただただ驚きます。
みなさんそれだけ、この半年ほどの香港の動きを追いかけていたんだなということがうかがえます。
まだ一通り最初から最後まで読んだだけですので、詳細は読み込めていませんが、この半年間の香港の動きに関心のある方には、ぜひ倉田徹さんが書かれた第1章を読んでいただきたいです。
この本のタイトルに惹かれた方や僕の記事を読んでくださっている方は、香港で起きた「逃犯条例」の改正に対する一連の抵抗運動に関心のある方ではないでしょうか。
そうした方は、この第1章を読むためだけにこの本を購入しても、十二分に「価値があった」と感じることができるはずです。
というのも、この第1章には今回の「逃犯条例」改正案提出とその後の香港社会・中国および国際社会の反応、そして改正案撤回要求から広範な反政府デモへと展開していく経緯が、現地の報道を中心に、詳細にまとめられています。
おそらく、日本語で読むことができるあらゆる情報の中で、今のところもっとも詳しくまとめられた記録ではないかと思います。
また、単なるプロセスの記録だけにとどまらず、「雨傘革命」と呼ばれた2014年の反政府デモの展開とその挫折、その後の香港政府による「順調」な「一国二制度」の推進から論考を書き始めることで、この半年間に展開された運動を立体的に描き出そうとしているところが特徴的です。
そうした構成によって、2019年2月に香港政府が突如「逃犯条例」改正案を提出した背景や、今回の抵抗運動が2014年の「雨傘革命」からアップデートされていることによって、香港市民の支持を受け続けている理由が見えてきます。
さらに、内容が時系列順に整理されていると同時に、今回の一連の動きに関わった組織の名称や個人名が逐一記述されていますので、マクロな視点とミクロな視点の両方から今回の動きをイメージすることができます。
この第1章の内容を頭に入れておくことで、香港社会で働く「力学」や「肌感覚」みたいなものをイメージしやすくなりますので、これからの香港の動きがクリアに見えてくるのではないでしょうか。
また、第1章の内容をより歴史的な視点から深く理解するためには、同じ倉田徹さんが執筆されている第3章とつなげて読むと良いのではないかと思います。
第1章と第3章の内容を軸に、より立体的かつ多様な視点から香港社会や香港の人々の考え方を理解するための内容が、そのほかの論考になるかと思いますが、個人的に興味深く読んだのは第5章でした。
第5章のタイトルにもありますように、今回の運動は「リーダー不在」の運動と言われていました。
この点については僕がALISに書いた以下の記事でも少し触れましたが、そのことが不安定さを内包しながらも多様な運動として広がっていきました。
そうした「リーダー不在」の運動を可能にしたのがSNS、とりわけテレグラムとネット掲示板「連登」だったということに注目したのがこの第5章です。
この章を執筆した倉田明子さんはテレグラムと連登で展開されたやりとりをリアルタイムに観察し、そこで展開される香港の人々の多様なやりとりと、そこから現実の運動へとつながるダイナミックな展開を描き出しています。
今回の運動がこうしたSNSによって展開されていたことはメディアの報道などで伝えられていましたが、その内実に踏み込んだルポルタージュはなかったように思います。
この第5章ではまさに、運動が生み出される過程を描いたルポになっていて、SNSを舞台に展開されるリアルな人々のつながりを実感することができます。
このあたりの「実感」は、フェーズが違いますけれど、ALISに集っている方々も共感できるような内容なのではないかなと思います。
この第5章の内容と関連して、「コラム」としてまとめられている周庭さんのインタビューや、さまざまな香港文化が抵抗運動を彩る「記号」として活用されている様子を描いた「香港デモの記号学」も、表面的には見えてこない香港の人々の「深層」に触れる内容になっています。
そのほかの各章の論考やコラムも、多様な香港社会の一側面を切り取っていて、今回の一連の動きを深く理解するための視点をそれぞれに提示しているのではないでしょうか。
また、読む側にとっても、自分の関心に合う論考から読み進めていくことのできる構成となっていて、本当に「緊急出版」とは思えないほど、今回の動きの「深層」に触れる内容になっていると感じました。
もっと詳細な内容は、いろいろな媒体で必ず書評が出てくる本だと思いますし、僕ももう少し読み込んでから何か書ければいいなぁと考えています。
ただ、価格も1,600円+税と購入しやすい値段に設定されていますから、香港社会の動きに関心のある方はぜひ手にとって読んでいただけたらと思います。
まだまだ香港社会は揺れ動いています。
この本を通じて、香港の人々の「深層」に触れる経験をして、引き続き香港のことに興味を持ち続けてくださる方が増えますように!