今回は企業ではなく『自分のこと』を分析してみたい。
他人からどう見えるかはともかくとして、必ずしも社会にしっかりと適応しているほうではない。少なくとも自分ではそう自分を理解している。組織に身を置く立場でありながら、職場の人間と会話を交わすことが億劫だ。ましてや、仕事の都合で初対面の人に会わなければならない日など気が重くて重くて仕方ない。
歳を重ねればそのうち人との付き合いにも慣れて、「あの頃の自分は若かった」などと自分の未熟さを温かい眼差しで振り返れる日がやってくるものと考えていた。誰とも分け隔てなく快活に難なくコミュニケーションできる自分を将来の地平に思い描いていたように思う。だが、実際には40歳の半ばを超えてもいっこうに福音は訪れない。
そんなわたしの心情を代弁してくれるのが、お笑い芸人の飯尾和樹(ずん)さんである。かれの持ちネタ「現実逃避シリーズ」は、まさにわたしの気持ちを言語化してくれる珠玉の作品集だ。「平日の昼間からゴロゴロォゴロゴロ。あ〜あ、屁をブーとこくたび、二・三百円入りゃあなあ〜」。人とは交わりたくない。でも稼がなければならない。みずからの排出ガスをマネタイズできたら本当に最高である。
必要に迫られて物理的に世の中に出ているが、性格的にはひきこもり人見知りの人間である。なぜ、そのような性質を持つようになってしまったのか。結局は臆病だからではないかと分析している。その割にプライドだけは人並みか、それ以上に高いから、恥をかくことや傷つくことを恐れて、他者とのコミュニケーションの回路をついオフにしてしまう。
最近流行りの「とにかく行動しろ」というストロングなメッセージからこの歳になって勇気をもらうこともある。実際、ささやかな試みとしてnoteも始めてみた。屁をプーとこくだけよりはおそらく生産的と信じたいが、外界に精神の門戸を開くことに対してかなりの負担を感じる状態にはまだ変わりない。
ひきこもり人見知りのアナリストからは世の人々がどのように見えているのか。いろいろな企業に対する自分なりの分析のみならず、人間理解に対する稚拙な考察にも関心を持っていただけるようなら、これから間欠的に投稿していこうかと思う。特に高邁な狙いがあるわけではない。ただ、頭の中をじっくり見つめることで、自分とは何者なのかを理解したいだけである。
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