ブロックチェーン界隈においては、とにかく非中央が正義みたいな風潮を感じます。
個人的にも非中央の理念は素晴らしく、目指すべき理想郷であるとは思っています。
ただ、何となく違和感を感じることも多かったので、その原因を整理してみました。
中央を嫌う考え方は、2タイプあるようです。
ひとつは、「個の自由」を追求する考え方
もう1つは「個の自由」を尊重する考え方
です。
さて、前者的「自由」な世界は利己的な自由が許される社会です。基本的には何でもありということですね。
要するに、「弱肉強食」です。
一方で、後者の「自由」は少し毛色が違います。
こちらは、何人たりとも他人の自由を侵害してはいけないという考え方。
権力(強者)による個(弱者)の抑圧を認めないというのが根底です。
要するに、「権力や階層の否定」です。
双方とも、中央的存在を嫌うのは共通していますが、目標としている社会は真逆のようですね。
ここで考えたいのは、
中央は否定すべき存在なのか?ということ。
「好き勝手させてくれ」と考える人にとって、中央は常に邪魔な存在でしょう。
「好き勝手しないでくれ」と考える人にとって、中央は抑圧の象徴です。
もちろん権力は時に腐敗することがありますし、個の自由を抑制することもあるでしょう。
ただし、逆のベクトルがあることも忘れてはいけません。
福祉やセーフティネットといった調整機能です。
また、責任構造や文化的なトラブル解決手段も必要です。力による解決はそれがいかに明確であったとしても人類が目指すべき方向性ではありません。
常に強いモノが勝つ社会は、最終的には崩壊に向かうことになるんじゃないかと思います。
何が言いたいかというと、
中央は排除すべき存在ではなく、逆に、もっとしっかりと役割を果たしてもらいたいということです。
ただし、一極集中な中央は排除すべき存在です。
腐敗や不平等があってもいけません。
ではどうすればいいのか?
権利・権力を分散させて、活動内容の透明性を高めてもらえばいいんじゃないでしょうか。
それこそブロックチェーンの出番ですね!?
Liskとかいいんじゃないかなー(笑)
そういう組織やコミュニティの公正さが評価される社会になれば、自ずと本当の非中央集権なの世界に向かうんじゃないかと思います。
既存社会から非中央な社会への直移行はあまりにもハードランディング過ぎますからね…
ちなみに、「ブロックチェーンて何?」な知人に「非中央」の話をすると、必ずと言ってもいいくらい「え?宗教はいったの?」みたいな顔をされます...(笑)
僕の周りだけ特殊な人間が集まってるんですかね~