今日は隣町にある文化センターで市が行っている「行政相談」に行ってきた。三重県の職員という方と、年配の相談員の方がみえました。30分くらい相談した結果、
「これは弁護士相談で法的な解決法をさぐった方がいいですね」
ということになり、市が実施している「法律相談」に予約を入れるようにアドバイスをもらった。それで、その足で社会福祉協議会に行って予約を入れてきた。
そもそも、「なぜ空き家問題が起こるのだろう」。それは、相続人の間の人間関係が崩壊しているからだろう。では、なぜ私と私の姉の人間関係が崩壊しているのか。弁護士が入らなければ話も出来ない状態になったのは何故なのか。
姉たちは、私の200坪の塾と自宅を父が私のために購入したと勘違いしていた。父名義なら、父の自宅と私の住んでいる土地・建物の時価総額が大きくなるので「分け前をよこせ」となったらしい。
しかし、私の塾と自宅は私が親戚や銀行に頭をさげてローンで買ったもの。完済するため昼間は名古屋に勤務し、夜は自分の塾というダブルスクールで働きまくった。下の姉は母が亡くなった時にそういう事情が分かり失望したのだろうと思う。いつ売れるか分からぬ父の自宅に固定資産税を支払い続けるのは避けたかったのだと思う。私はこの姉と死ぬまで会うことはないだろう。
上の姉は小さい頃からトラブル続きだった。高校生の時に喫煙を咎める父の怒鳴り声に震えて部屋の隅で震えていたのを覚えている。その後も、父に買ってもらった土地と家をヤクザとの賭け事で失い、アパートの家賃を踏み倒したせいで母が後始末に奔走し、母が亡くなった時には居場所が分からず葬儀にも出なかった。
生徒を見ていて思うのだが、人は持って生まれてくるものが皆違っている。勉強に向かない子にベクトルや微積分を説明しても一生理解はできない。上の姉の言い分を聞いていると、勉強に向かない子を相手にしているような気がする。話し合いができる相手ではないのだ。
本論とは関係がないが、文化センターも社会協議会も立派な建物で驚いた。私はアメリカで生活している時に、よく教育委員会の建物に出向くことがあった。その建物は言われないと分からないくらい質素な建物だった。アメリカは一般の家庭は立派な建物が多いけれど、公共の建物は貧相と言ってよい感じがした。
日本は東京の都庁もそうだけれど、地方も一般の家は狭くて安普請が多いが、市役所や文化センターなどの公共の建物はビックリするくらい立派だ。これは、中心にお城があって周囲に庶民の暮らしがあった城下町の伝統なのだろう。“官尊民卑”の伝統は今も生きている。それが分かって若者が公務員を志望している。
上の姉と私の考え方は、この日本とアメリカの考え方の違いほど違う。しかし、次の世代になると解決が難しくなるので今のうちに何とかするしかない。つまり、弁護士を入れて解決するしかない。来月「弁護士相談」に行ってくる予定だ。
昔から「金持ち喧嘩せず」と言う。私がビル・ゲイツのような億万長者だったら、父の土地などポンと姉にあげて相続問題など無関係の人生が送れるのかもしれない。でも、それでも父が私を相続人にすると決めていた事実があるので父の意思を尊重したいと考えたかもしれない。