「教育不可能生徒との遭遇」
私は10年以上前に中学コースは「四日市高校」や「桑名高校」を受験する子限定にし、高校コースは「京大」「阪大」「名大」や国立大医学部受験生を受験する子限定にした。通信コースも原則「旧帝受験生」に限らせてもらっている(一部、別高校や別大学を受験する方もみえるけれど難関受験指導という方向性は変わりない)。
もちろん、反発もあったのだけれど死活問題だったのだ。何故そうなったのか。それは「教育不可能な生徒の激増」という事情がある。
学校の教師も、塾講師も「教育が不可能な生徒がいる」と口にすることは日本では許されない。タブーと言える。それは「教育の敗北」と受け取られるからだ。しかし、30年ほど前にバブルが弾けた頃から日本はおかしくなってきた。ちょうど不登校の生徒が増え、モンスターペアレントが現れ、イジメで自殺する生徒のニュースが流れ始めた頃だ。
ここで、過去の学園ドラマの系譜を見てみたい。世相を反映しているからだ。学校も塾や予備校も言うまでもなく社会の一部だからだ。
青春とはなんだ(主演:夏木陽介、藤山陽子) 1965年 - 1966年(NTV)
これが青春だ(主演:竜雷太、弓恵子) 1966年 - 1967年(NTV)
でっかい青春(主演:竜雷太、広瀬みさ) 1967年 - 1968年(NTV)
高校生時代(中学生日記の前身番組) 1967年 - 1968年(NHK)
この時代は「高度経済成長期」。東京オリンピックや万国博覧会が開催され、新幹線が開通して日本の未来は輝かしいものだと信じることが出来た。だから、学園ドラマも元気いっぱいで明るいものだった。
おれは男だ!(主演:森田健作、早瀬久美) 1971年 - 1972年(NTV)主題歌「さらば涙と言おう」
飛び出せ!青春(主演:村野武範、酒井和歌子) 1972年 - 1973年(NTV)主題歌「太陽がくれた季節」
われら青春!(主演:中村雅俊、島田陽子) 1974年(NTV)
ゆうひが丘の総理大臣(主演:中村雅俊、由美かおる) 1978年(NTV)
この頃から、教師が理想的な大人ではなく欠点だらけの人間として描かれ始めた。また、生徒たちも「落ちこぼれ」が多く描かれ始めた。日本の経済が高度成長期から巡航速度に進んでいった時代。
スクール☆ウォーズ(主演:山下真司) 1984年 - 1985年
女王の教室(主演:天海祐希) 2005年
ドラゴン桜(主演:阿部寛) 2005年(第一シリーズ)、2021年(第二シリーズ)
ごくせん(主演:仲間由紀恵) 2002年(第1シリーズ)、2005年(第2シリーズ)、2008年(第3シリーズ)
最近は、学園ドラマはすっかり不良少年・少女が主役であることが当たり前になった感がある。教師の方も、ヤクザや暴走族あがりかメンヘラ。あるいは、暴力教師が当たり前。「話せば分かる」といった建て前が、現実の前にもろくも崩れ去った時代。
私の塾でも、この頃から「備品の盗難」「月謝の踏み倒し」「モンペの訪問」が相次いで受験指導どころではなくなった。しかし、不況の他に少子化という逆風が吹きまくるしコロナで対面授業はできないからヤクザのような生徒も受け入れないと食っていけないのだ。
その結果、多くの予備校や塾では授業を極端に低レベルにしないと生徒たちを満足させられなくなった。パフォーマンス講師が増えた時期と一致する。リーゼントや、芸人のようなトークがウケるので経営者は競って「変な人」を採用するようになった。そして、タレント化した塾講師は「賢い生徒」たちから敬遠され避けられるようなった。
優秀な人材が日本から脱出を始めて「頭脳の流出」と騒がれ始めた時期だ。そして、現在この国は経済大国から転げ落ち始めている。当たり前だ。他の国は優秀な生徒を大切にして金銭的にも報いられるもの。日本は、まるで逆。落ちこぼればかりに配慮して、真面目な生徒に我慢を強いて配慮しないもの。
大人の社会でも、教育不可能な人は刑務所に隔離する。なんで中学生や高校生はそうしないのだろう?中学生や高校生は、みんな教育可能な聖人君子ばかりというバカげた前提は放棄すべき。東大や京大を受験する素質のある子と、分数の足し算もできない子を同じ教室で指導などできるわけない!
それも、あろうことか授業レベルを怠けた生徒に合わせるなんてありえない。真面目に勉強している子が犠牲になって、遊び惚けている生徒が
「オレを分からせてみろよ!」
という状態は、どう考えてもおかしい!
私の教えていたアメリカのローガン中学校では問題行動を起こすと、即警察マターになってパトカーがやってきた。テストの点数が一定以下になると「特別教室」を設置して、問題の生徒は隔離されていた。日本もそうすべき時期に来ている。