順位付けない徒競走、在り方に賛否
「11月上旬にあった小学校の運動会の徒競走で順位を数えていなかった。何の配慮なんでしょうか」。広島市西区の小学校に子どもが通う30代主婦から編集局にこんな声が寄せられた。調べてみると、この学校以外にも市内の複数の小学校で同様の措置が取られていた。
ここ三重県「いなべ市」では、中学3年生の三者面談の時に教師に校内の学力順位を尋ねても「競争を煽るので教えるわけにはいきません」と言われる。上記のニュースは広島県の話だ。三重県と広島県は日教組の組合員が多いトップ2なのも影響しているのだろう。
しかし、いくら競争を否定しても受験は存在している。就職活動も競争だし、社会に出てからもライバル会社としのぎを削る競争だ。中国や北朝鮮のような社会主義国でも、国際的な企業間競争を避けることは敗北を意味する。
この現実を無視して、学校だけは聖域のように競争を否定しても全く意味がないどころか、生徒の将来に禍根を残す。一部の生徒は本気で競争は否定されるべきと洗脳されて校内順位も分からないまま受験に突入するしかないからだ。
競争に勝ち残った製品だけが市場に提供されるから多くの人が高いクオリティの製品を手にすることが出来る。競争を否定したら粗悪品も市場に提供されてしまう。多くの感動を与えてくれるテレビドラマにしても、競争に勝ち残ったすぐれたシナリオ作家、俳優、歌手がいなければ成立しない。競争を否定した社会主義国の末路はソ連や東欧諸国の崩壊で学習済みだと思う。
生徒に教えるべきことは「競争の否定」ではなく、敗北した時の屈辱感の乗り越え方、競争に勝ち残るための情報の集め方、創意工夫のやり方だと思う。
最近はセクハラだということで、迂闊に美人だイケメンだと言えなくなってきた。ルッキズムと言って顔の美醜に関する発言はすべてNGらしい。しかし、人間はいくら叩かれても美人やイケメンが好きだ。生物として生き残るためハイスペックの個体を好むように遺伝子に組み込まれているのではないのだろうか。言葉狩りをしたところで、内面を変えることはできない。
ここ三重県の強制的な「班」による集団教育や運動会で順位をつけないやり方は止めるべき。そんなことをしたところで、誰が足が速いか、誰が勉強ができるかなど誰でも知っている。その事実を受け入れた上で自活できる道を教えるべき。現実にあるものを見ないフリをするような指導を教育とは呼ばない。
美人に向かって「美しい」と言えず、イケメンに「素敵!」と叫べない社会はおかしいと思う。賢い子に「頭いいね」と言うと、競争を煽るのだろうか。そうだとしても、人の心の中までは変えられない。足が速い子、料理のうまい子、歌のうまい子。みんな違っていて、何が悪いのだろうか?
生徒は賢いので、学校の教師が嘘つきだと見抜いている。だから、塾の模試を受けて自分の学力順位を確認しながら受験校を選んでいる。これは、自分が100%正しいと考える教師の組合が自分の価値観を子供たちに押し付けているのが元凶。
子供たちは十人十色なのです。金太郎あめのような人間を作りたいからブラック校則を作り、髪型や下着の色まで決めようとする。部活動を強制し、多様な時間の過ごし方を許さない。そんな独裁者のような管理教育は現代では通用しないことを知るべき。
「班」や「クラブ」や「クラス」を強制し続けるとイジメを誘発して、犠牲者が出続けると思う。