あまり知られていないが、ここ三重県は日本一の「日教組」の牙城だ。
皇学館大学助教授●松浦光修(まつうら みつのぶ)
日教組組織率全国一位の三重県
日本人の心のふる里とも言われる「お伊勢さん」の地元の三重県が、じつは広島県にまさる日本一の偏向教育県であるということは、本年五月三十日付産経新聞第一面で示唆され、『正論』七月号の「全国高校教育偏向度マッブ」で、統計的に指摘されたところである。私は、それらの報道を知った直後、「神社新報」に「無惨やな神の御もとの教育界」という一文を発表し(六月二十八日)、それらの記事内容への注意を呼びかけたのだが、それを契機として、私のもとには皇学館大学の地元である三重県民から、匿名を条件として、いろいろな情報が寄せられはじめた。
私が北勢中学校の頃(今もそうだが)教室の戸を開けると机が5つずつ固めて置かれていた。「班」と言う。前列に3班。後列にも3班。各班には男女半々で班長と副班長が決められていた。
全国の多くの学校では机は全て黒板の方を向いて整然と並べられていた。それは、学園ドラマを見ていれば分かる。ところが、北勢中学校では5つの机を固めるものだから黒板が右側とか左側とか、とにかく首が疲れる。
なんでこんな「班」があるかというと「分からない子に教えてあげよう」という精神らしかった。勉強のできた私は、まるで無料の補助教師のような立場だった。教え合い、助け合いという指導方針だから私語だらけ。
私は学年で1人か2人しか合格できないと言われていた四日市高校を志望していた。得点率が90%以上が絶対だったから難問にチャレンジしなければならなかった。なのに、学校では最低レベルの問題しか扱わなかった。「落ちこぼれをなくす」ということは、そういうことだ。
しかたなく、私は中学3年生の夏休み前に学年主任のK先生の自宅に電話をして
「私は学校の宿題や課題を提出しません。自分で選んだ問題集をやらせてもらいます」
と言って、好きにさせてもらった。私は中学3年生の宿題を提出していない。
10月頃になって三者面談があったのだが、校内順位は「競争をあおるのでお知らせできません」ときた。ふざけんな!校内順位が分からなければ、四日市高校、桑名高校、川越高校、桑名西高校、いなべ総合など、どこを受けていいのか分からない。
きれいごとを言うから、生徒たちは目隠しされたまま崖を飛び越えることを求められて不合格になったりするのだ。
それより何より、私はヤクザの予備軍のような生徒が嫌いだった。グループでたむろするのが嫌いだった。一人で静かに勉強したり思索するのが好きだった。強制的に「班」を組まされるのが苦痛で仕方なかった。
四日市高校には、そういう躾が欠如した生徒はいなかったし、班もなかったし、校内順位も知れたし、北勢中学校とは真逆でよかった。名古屋大学でも基本的に他人に干渉する人は誰もいなかった。
ところが、社会に出たら事情が一変した。いなべ市の自治会には「組」があって、定期的に新年会とか会合があった。私は塾講師だから、休日や夕方の会合は全て欠席せざるを得ず、自治会を抜けると言ったら
「そんなことをしたらゴミ出しができなくなる」
と、恫喝された。私はクリスチャンだから、神社の協賛金のようなものは支払いたくなかったけれど「強制」だった。
学校は左翼教育、社会人になったら江戸時代の「五人組」のような因習が生きていて息苦しくて我慢できなかった。私はアルコールを飲まないのだけれど、田舎の行事には必ずアルコールがついてきた。
それで、私は両親が亡くなったのを機会に全ての地域活動から距離を置いて暮らしている。強要されたらこの町から出ていくつもりだ。私の友人は、
「それは、チョット過激かも」
と、言った。父や母にも言われたことがある。若い頃は、自分がおかしいのかと思うこともあった。
ところが、アメリカのユタ州のローガン中学校での経験が私を変えた。ローガン中学校には「班」どころかクラスさえなかった。日本の大学のように授業毎に生徒が教室を移動していた。クラブ活動という制度も存在しなかった。午後2時半になったら生徒も教師も学校からいなくなり、消灯になった。教会はあったが、出席を強要などされたことはない。
私の認識はコペルニクス的な転回を起こした。
「私が異常ではなかったんだ。日本が異常状態なんだ!!」
ローガン中学校には制服は無かった。校内でチョコやキャンディーを販売していた。化粧をする子も巻き髪にする子もいた。日本の学校の写真を見せたら
「これは、囚人か軍人か」
と、尋ねられた。全員が同じ服を着ているのは、アメリカでは刑務所か基地くらいだからだ。ローガンは日本以上に治安もよく生徒たちは健康だった。部活動なんて、理不尽な社会人ー社畜を育てるために機能しているだけだ。
私は日本でサラリーマンを2年間やったが馴染めなかった。それで、自分で塾経営を始めたわけだ。すると、私の塾生の賢い子たちは皆
「私は日本を脱出する」
と、言うことを知った。私は当然なことだと思う。こんな規則でがんじがらめでは自由な発想も自由な議論も出来はしない。
頭脳の流出は今後も続くのは間違いがない。日本が先進国の座から滑り落ちるのも当然だと思う。私は社会主義とか資本主義とかいう主張には興味がない。ただ、
「他人に自分の着る服、履く靴、持つ鞄、下着や髪型・髪色まで強制されるのは我慢ならん
というだけだ。
「学級集団づくり入門」
という文部省の道徳教育方針に背く形で出版された日教組の具体的教育マニュアルです。
(参考:いじめの根源を問う 今村城太郎)
具体的には何が書かれているか見てみますと「いじめる側の子供こそ教育目的である」と明記されています。つまりいじめられた児童はいじめる子供のための「教材」であると書いてあるのです。また教育現場である学級においての「班」については「班は集団を教えるための『道具』」とはっきり書かれています。