独裁国家 VS 自由主義国家 民主主義の根本にあるもの
ウクライナが危機に陥っている。アメリカやヨーロッパ諸国がウクライナに武器や資金援助を行っている。何故このような戦争が勃発したのか。簡単な話ではないだろうが、究極的にはウクライナの人たちが独裁国家が嫌で自由主義国家の仲間入りをすることを望んだことが一番大きい気がする。
ロシア、中国、北朝鮮のような専制独裁国家にとって、それは許しがたいことなのだろう。世界中が自由主義国家になると、プーチン王朝、習王朝、キム王朝が崩壊してしまう。独裁者の末期は惨めなものだ。
では、我が国「日本」の立ち位置はどこなのだろうか?
一応、日米安保条約があるのでアメリカ側ーつまり、自由主義諸国の一員らしい。しかし、日本人なら分かっていると思うが異常に同調圧力が強い。「天皇様」から「将軍様」に簡単に変わる。
明治維新の時は「日本文化」から「文明開化」に簡単に変わる。一斉に変わる。戦後は「鬼畜米英」から「アメリカは素晴らしい」に簡単に変わる。それも、一気に変わる。何故そのようなことが出来るのか。
日本人は「柔軟性」として誇りをもって語る人が多い。そうなんだろうか?
なぜ日本では市民革命が起こらなかったのか。外圧がなければ変われないのか。白人の西欧社会からしか市民革命が起こらなかったのは何故か。アジアには独裁国家が多いのはなぜか。
御用学者は「日本はアジアと違う」と主張する。福沢諭吉先生も「脱亜入欧」と主張された。
脱亜入欧(だつあにゅうおう)とは、明治時代(19世紀末)の日本において、「後進世界であるアジアを脱し、ヨーロッパ列強の一員となる」ことを目的としたスローガンや思想である。後には他のアジアの国の同様の動きについて使われることもある。
しかし、決定的に異なるのはキリスト教だ。ヨーロッパで市民革命が起こった基礎には聖書にある「神様の前ではみな平等」という考え方がある。憲法に示される基本的人権の「平等権」や「自由権」はイエス様の考えが基礎にある。
つまり、憲法より上にクリスチャンの理想がある。もし、政府がこの理想を覆す憲法改正や法律を作ろうとしたら政府を転覆させることも“正義”なのだ。だから、君主、王、独裁者を次々と倒していくパワーを得た。その結果の市民革命だった。
日本には、そういう根本の理想がない。だから、黒船や敗戦といった外圧がないと民主主義を生み出せなかった。いや、今もその力がない。社会全体が右傾化したら、根本の理想がないので同調圧力で戦前のように一気に軍国主義が復活しかねない。
アメリカやヨーロッパの人たちは、そのことをよく認識していると思う。アフリカはカオス、アジアは未開と思っているのは間違いない。中国、北朝鮮、韓国、インドなどアジアにある国は独裁国家の色彩が強い。ミャンマー、ラオス、ベトナム、フィリピン、インドネシア。いずれもヨーロッパの民主主義国家とは社会が異なる。
日本も戦国時代にキリスト教が広がる機運があった。しかし、その後「鎖国」して生まれたキリシタンはクリスチャンと違う形に変貌してしまった。フィリピンのキリスト教も土着の文化に影響を受けている。
イグリシア・ニ・クリストは黙示録7章に記載されている「東の方に上ってくる天使」に創始者のフェリックス・マナロを重ね、彼こそが神の使いであるとする信仰です。まさに西洋を中心としたキリスト世界と逆転の概念としてフィリピンに起こりました。信者になる以外に救いの道はないとされています。
西洋の科学技術は抵抗なく受け入れたのに、その土台となっているキリスト教に関しては受け入れることが屈辱だとでも思っているのだろうか?私にはよく分からない。