「部活の顧問を押し付けるのは、事実上のパワハラです」。九州地方の公立中学校で教壇に立つ30代教師はこう話す。この4月からの新年度、部活の顧問になることを断った。「ボランティア」であるはずの顧問が、事実上、当たり前のように各教職員に割り振られ、「全員顧問制」の義務となっている状態に違和感を抱いていた。
職員会議の場で、「部活の顧問になることはお断りします」と宣言した。校長以下、教職員たちは水を打ったように静まり返ったという。後になって、「そういう時代だよね」と理解を示してくる教職員が複数いたことが救いだ。
ブラック部活と言われて久しいが、何も変わらないのが日本。とうとう教員の中から“反乱”が起こり始めているみたい。良い傾向だ。しかし、教員には反乱を起こせるかもしれないけれど、学校の主役であるはずの生徒には反乱を起こせない。「調査書」で恫喝されているもんね。
「部活」のせいで教員はタダ働きを強要され、生徒たちは自主性の芽を摘まれてゆく。部活に生き甲斐を感じる教員や生徒がいても構わないけれど、それを他人に強制しちゃダメだよね。希望する人だけがやればいい。こんな当たり前なことも出来ない管理社会の学校って、まるで北朝鮮と同じだよ。そういう社会が好きな人も一定数いるだろうけど、日本は民主主義の国なんだからいいかげん強制はやめるべき。
こう書くと、必ず抵抗勢力が騒ぎ出すんだよね。「部活は社会生活を学ぶには必須」だなんてね。でも、私の教えていたアメリカのローガン中学校には部活なんかなかったけど日本よりよっぽど社会生活をうまく行っている生徒ばかりでしたよ。ウソを言っちゃいけない。
同じ服を着ろ、同じ靴を履け、同じ髪型をしろ、同じカリキュラムで勉強しろ、同じ参考書・問題集を使え。こんなシステムがおかしいと感じるのが自然だろ?みんな違うんだから。自分に着たい服を着て、履きたい靴を履き、好きな髪型をして、自分の使いたい問題集を使う。
学力が偏差値30台の子と70の子に同じ問題集を使わせるのは無理というもの。
「仕方ないだろう!集団指導なんだから」
と、学校の先生も教育委員会も文科省も言う。そうだろうか?それは全員をガチガチに管理したいからそう言うだけ。クラスを解体してアメリカのように授業毎に生徒が移動すればいいし、部活は自由参加にして生徒が自由に学べる時間を確保してやればいいんだよ。
賢い子たちは教師の授業なんかレベルが低すぎて聞きたくないんだ。現実を受け入れるべき。授業が聞きたかったらいまどき動画で無料でいくらでも聞ける。
無能な教師ほど
「それでは人間の絆が」
などと意味不明なことを口にするけれど、現実を見るべき。欧米諸国にはクラスとか部活とかが存在しない国が多いけれど、そんな国では絆が崩壊しているのかい?そんなワケない。嘘はいけないよ。