私は大学を卒業して英語講師を始めたとき
「どうすれば自分が一流の英語講師であることを実証できるのか?」
と考えた。私の最初の答えは
「本場で英語をマスターすればいい」
ということだった。そこで、あるプログラムの試験を受けてアメリカで中学教師をすることになった。帰国する頃には「英語を身に着けた」という実感があった。そこで、名古屋にある大規模予備校、専門学校7校に履歴書を送ってみたが返事はなかった。
そこで
「なぜ返事が来ないのか。本場で英語を身に着けただけではダメなのだろうか?」
と考えた。私の答えは
「そうか、自己満足ではダメで客観的な評価を示す必要があるのだな」
というものだった。そこで、英語検定1級、通訳ガイドの国家試験、ビジネル英検A級、国連英検A級などに合格した後、再び履歴書を送って昼間の非常勤講師の仕事を得た。
ところが、授業をしていると生徒の方から英検1級と京都大学の入試との相関関係、どちらが難しいか、採点方法はなど疑問・質問が続出してきた。
「そうか、英会話系の英語と受験英語は違うからな」
そこで、私は自分で京都大学を受けてどのような書き方が高評価を得るのか実験するため7回二次試験を受けて確かめた。英語は8割超、数学は7割の正解率だった。
今度こそ自分が一流の英語講師であることを実証できただろうと確信した。しかし、まだ保護者や生徒の方たちは納得してくれなかった。なぜなら、英語講師である私の英語力を証明してもダメらしい。
つまり、講師の英語力ではなくて教えた生徒の合格率を上げることが一流の英語講師の証明だと考えているらしかった。
そこで、普及し始めていたSNSを使って京大受験生に的を絞った添削を始めることにした。YouTube やブログを使って広報して京大、阪大、名大、国立大医学部など上位層にチャットツールを用いた質疑応答が無制限にできる添削を始めた。
すると、10年連続で京都大学の合格者がでてきた(うち4名は医学部医学科)。
「今度こそ一流の英語講師の実証ができただろう」
と思ったが、世間の受け取り方は違った。つまり、河合塾、駿台、東進などの知名度の高い予備校の講師が一流で、私のように田舎の小さな個人塾講師は三流だという見方。これに気づいたのは銀行に融資に行ったときのこと。
駅前にあった(最近、閉鎖になった)銀行の融資係の方が
「当行は大規模塾が勝ち組。あなたのような個人塾は負け組と認識しています」
と言ったのだ。
私はバカげていると思った。なぜなら、私は河合塾学園や駿台グループの予備校などの採用試験を全て合格して講師をしていたからだ。しかし、銀行だけでなく世間一般の人たちもマスコミで芸能人やアニメが宣伝している予備校に良い講師がいると判断する人が多い。
そして、気づいてしまった。私の行ってきた実証の意味が分かるのは旧帝や国立大学の上位の子たちだけという事実。たとえば、数学の「正の数、負の数」レベルの話なら大抵の生徒は理解する。しかし、高校の「置換積分」レベルの話になると理解できるのは一部の子に限られるワケだ。
私は音痴なので、どんな一流の音楽講師に指導されても歌手にはなれない。つまり、一流の英語講師をめざすと指導する相手も限定されてしまう。それは、大規模予備校の経営理念とは違うことになる。結局「分かる人だけ相手にする仕事」になる。
これは、どの分野の仕事にも言えることらしい。一流の料理人になることと、ファミレスの店舗数を増やすことは全く別の仕事だから。私は味音痴で金持ちではないのでファミレスを利用するけれど、味の分かる人は一流の料亭に行くのと同じことだ。
それでも「私の京大合格作戦」(エール出版)2020年版から2022年度版に私のやってきたことを漫画化したものが掲載されたから、ニッチの世界では知名度が高いんですよ。私の名前で検索すると事実が分かります。