勉強のできない子は、定期テストが終わるとよく
「よし!平均点を超えた」
と言う。
勉強ができる子は違っていて
「うゎ!平均点を割った。やっぱ、この科目は受験で使えないなぁ」
と言う。
成績が悪い子も良い子も、平均点が一つの基準になっている。
成績は大体正規分布をするので、平均点あたりが多数派を意味する。その多数派より低いか高いか。つまり、多数派から落ちこぼれているのか、その上に居るのかが気になるわけだ。日本では「よらば大樹の陰」という諺があるくらい多数派に属していることが大切。最近では「同調圧力」と呼ばれている。
私は小さい個人塾を経営しているが、サイズは関係がない。つぶれたら子供たちの生活が守れないし、土地や家屋を担保に提供してくれた両親を路頭に迷わせるわけにはいかないので繁盛させる方策を常に考えてきた。
その方策の根本は「差別化」だ。簡単に言うと「人のやらないことをやれ!」ということだ。具体的に言うと、ここ三重県北部の田舎には高校生を指導できる塾が少ない。だから、高校生指導の塾にしている。その中でも、京大や名大など地元で人気がある偏差値の高い有名校の受験生を指導する。そんなことが出来る講師は地元にはいないので独占できる。
そのため、英検1級にも挑戦したし、京大の二次試験を7回受けて研究したりSNSで得点獲得率が8割を超えたことを成績開示付きで公表したりしてきた。日本で誰もやっていないことを目指している。自分の経験を漫画化してアマゾンの電子書籍で売ったり、YouTubeの動画にして投稿したり、ボイスドラマにして発表してきた。
これは、スティーブ・ジョブズが「Stay hungry. Stay foolish.(ハングリーであれ。愚か者であれ)」と言ったのも同じこと。株の世界で「人の行く裏に道あり花の山」というのも同じことだろう。つまり、人と同じことをやっていては儲からない。成功しないという真理を伝えている。
私はアメリカのユタ州、ローガン中学校で教師をしている時に気づいた。アメリカの中学校では
「何でもいいから人と違うことをやりなさい」
という哲学が貫徹されている。だから、世界一のピザなどという馬鹿げた話が生まれたりもするが、それを面白がる文化が存在する。
翻って日本の学校を見ると、まったく逆の哲学が貫徹されている。
「いいから黙って人と同じことをやりなさい」
という同調圧力を朝から晩まで繰り返し教え続ける。同じ服、同じ靴、同じ鞄、同じ髪型、同じ下着、同じ髪の色でないと許さないという異常な教育方針が長年続いている。このような環境からスティーブ・ジョブズが生まれるだろうか?
私の指導させてもらっている有能な生徒たちは
「日本を出ていく」
と言っている。そして、日本は人材の墓場状態になりつつある。才能のある子の芽を摘むことに必死になっている。その教師に自覚がないので状況はかなり悪い。
ブラック部活のために残業が必要になるが、教師の時給は150円だ。このような異常事態に抗議の声をあげる教師が増えつつある。下着は白でなければならないとか、茶色の地毛の生徒に黒髪に染めるよう強要するのは人権侵害やセクハラに当たると訴訟まで起こっている。さすがに、文科省も黙っていられなくなり通達を出す事態になっている。
憲法や法律は校則より上にあるのだから、明日にでも
「制服は廃止。校則は全廃」
と、言えばいいのだけれど校長も教師も公務員なので前例踏襲で改革など出来るはずがない。
このままでは技術立国など夢のまた夢。できるだけ早く「聖域」状態の学校をアメリカ方式に改革しないと日本の不況はいつまでも続く。