私は北勢中学校のとき、学年で上から数えた方がはやい成績だった。音楽以外はオール5だった。四日市高校を受けるときは「落ちるはずがない」と考えていた。大学を受けるときは 、そんなに簡単ではなかった。自分より賢い子が山ほどいた。それでも、上位1割以内にはいたから現役で名古屋大学に合格した。
大学を卒業するとき、教育学部の中では成績が良かった。「統計」以外はすべて優で、卒業論文も優だった。そして、人生の転機を迎えた。
「大学院を受けるか否か」
なまじ成績が良かったため深く考えずに「上」だけを考えて生きていた。でも、卒業のときに
「このままでは学者じゃん。オレ、学者になりたいの?」
と迷いが出た。
幸い筆記試験は合格したものの、面接で落ちた。それで、塾講師を始めた。そこで、私は目からウロコが落ちた気がした。
「これが自分のやりたいこと!」
そう思ったのだ。あれから、アメリカに行き、名古屋で非常勤講師をやり、自分の塾を経営してきた。面白かった。
アメリカに行くときは、
「帰国したら26歳で失業し、貯金はゼロになり、彼女もいないぞ」
と分かっていたが、已むに已まれれぬ気持ちで日本を離れた。銀行から融資を受けるときは破産のリスクがあり、英検1級を受けるときは合格の可能性はほとんどないと覚悟していた。でも、好きなことだからチャレンジが面白かった。
途中から文系なのに数学Ⅲの勉強を始めたり、SNSに手を出したり、先がどうなるのか見通せるほどの才能は無いけれど、好きだから手を出した。全て楽しかった。だから、人から嫌われても構わなかった。
そうこうしているうちに、還暦を超えてしまった。肩書やお金を優先する生き方もあるだろうが、私は好きなことをして生きてこられた人生に後悔はしていない。