2013年の5月で、遊技機の部品会社を退社(クビ?)しました。
有給消化もありましたが、急な退社の為、引き継ぎ、メーカーへの挨拶等で
転職活動が遅れました。
当時は遊技機の売り上げが下降線をたどり始め
以前よりも積極的に中途採用を行う会社は少なかったです。
その中で、初めて(というか2回目ですが)メーカーに転職活動を行いました。
メーカーへの転職活動でしたが、面接に行く前に、そのメーカーの
最新機種を打ちました。
「なにこれ?」
というのが正直な所でした。
一言で言って「開発者の自己満足が見えてしまう」
そんな感じでした。
「これ企画開発した人は、どんな人なんだろう」
まさか、面接でその機種のプロデューサーが出てくるとは!w
モノ作り、特にゲームや遊技機は、自分の個性が抑えていても出てしまうものです。
ただそれを出し過ぎない事が、プロのクリエイターだと思っています。
何故なら、遊技者は開発者の自己満足なんて見たくないですよね?
面接にはメーカーの常務、総務部長、開発部長とプロデューサーが出てきました。
プロデューサーを見た時、妙に「あ~なるほど」と納得してしまいました。
正直、何のオーラもないw
クリエイターとしてエッジの利いた感じもしない。
で、質疑応答の際に、色々聞いてみました。
自分「この機種のコンセプトは?」→P「いや、昔の機種の復刻という事で…」
自分「何故図柄はこれにしたんですか?」→P「タイトルがそうなんで…」
自分「何故大当りでこのタレントを?」→P「主人公の女の子と同じ名前なので…」
この人、クリエイターじゃない…と驚愕しました。
単なるサラリーマンなんだ、と。
なんだかガッカリして、オブラートに包みながら、色々言わせて頂きました。
この時点で「落ちてもいいや」と思いましたね。
時間を割いて頂いたので、申し訳ないと思いつつ、
もう転職は最後と思って臨んでいたので、編に妥協したくなかったです。
同時に12年前から持っていた「メーカーの人間はこうあるべき」という
期待が完全に崩壊した瞬間でした。
落ちてもいいや、と思って受けた面談の翌日。
1人で車を走らせて、海を見に行きました。
初夏の海は穏やかで、人は誰もいませんでした。
海を眺める事3時間。
自分はどうしたいんだろう?
この業界に留まって、何がしたいんだろう?
遊技機業界はこの先どうなるだろう?
グルグルと考え続けていました。
その時、海を見続けて一つの結論に達しました。
そうだ、起業しよう。
遊技機で終わるのはまっぴら。
世界で勝負できるコンテンツ開発を目指そう。
元々30代で独立を考えていたじゃないか。
ちょっと遅くなったけど、今がラストチャンスじゃないか。
しかし、お金もない。
起業のノウハウもない。
仕事もない。
しかし起業しようと腹に決めると、不思議な事に、起業に向けた
色々な情報やご縁、チャンスが集まりました。
まずお金は…20年以上かけていた生命保険の積立を解約。
起業のノウハウはとにかくネットを見て調べる。
仕事に関しては、元々ご縁があった遊技機開発会社から
個人的に企画の仕事を振ってもらえる…というチャンスを頂きました。
起業は2013年6月20日に決めました。
それは大安だったから。
しかし4日もありません。
とにかく印鑑制作から、書類作成等、3日で全て準備しました。
無駄なお金をかけたくなかったので、悩んだのですが
株式会社ではなく、合同会社にしました。
そして6月20日に法務局に行きました。
多少の手違いはあったものの、晴れて6月20日付で
会社を設立し、自分も社長(合同会社は「代表社員」)になれました。
しかし、申請が終わって待っている人の隣に座った時
その人が読んでいる新聞を見てびっくりしました。
その日の新聞には…
2013年6月20日…「仏滅」と…www