自分にとって初めての遊技機機種完成後、半年以上休みが無かったので
やっと代休消化に入る事ができる…はずでした。
2002年7月21日。
最初の機種のマスターアップから2日後の夕方に、
社内の一部ゲーム開発メンバーと遊技機開発メンバー全員に
その日の18時半に、近所の居酒屋に集まるように連絡が来ました。
居酒屋には20~30人程のメンバーが集まり
みんなで好き勝手に飲んでいました。
自分も25日から代休消化に入れる安心感もあり
他のメンバーと普通に飲んでいました。
宴もたけなわとなった時、プロデューサーに呼ばれます。
座敷の隅に行くと、遊技機プロデューサーと企画部部長、常務、デザイン部長が
座っていました。
(なに?何?)
4人が自分の方に向いて、一斉にしゃべり始めます。
「いや~、社内の誰よりもオーサリング作業が早いよね」
「センスもあるよね」
「やっと1人前になってきたから、ドンドン頑張ってほしいよ」
「本当、この短期間で良く頑張った!」
何か怪しいなぁ~と思っていたら、企画部部長が切り出しました。
・Nさんが企画・ディレクションをやっている別の遊技機開発を手伝ってほしい。
・納期は8月19日(1か月切っている!)
・オーサリングが一番早くできるのは、お前しかいない!
あれ?自分の代休消化は?
というか、それだとお盆休みも無くなりますよ?
「それはプロジェクトが終わった時に取ればいいから」
その問題のプロジェクトは、実は4か月ほど前から動いていました。
ただし、当時の最新の基盤のテストもかねていたので、
あくまでも図柄と背景のみ、それも1ライン演出の通常変動だけでした。
ところが、その通常変動をメーカーの役員の方が見てしまい…
「申請は8月19日出せるでしょ?ここまで出来ているんだから」
(いや通常変動だけですけど?)
「あと、これ5ラインにしてね」
(え?レイアウト変わるから、図柄デザインも変わりますよ?)
との事でした。
さすがに一瞬悶絶しましたが、断れない性格なのと、
先のプロジェクトでこっそりアイデアを出してくれたNさんのプロジェクト。
断る理由はなかったです。
実はその居酒屋に集まった理由は、主要なメンバーに声をかけて
その突貫プロジェクトメンバーを集める、という理由でした。
そしてそれは…
買っていた帰省用の新幹線のチケットが藻屑と消える事を意味していました。
そこから予告からスーパーリーチの打ち合わせと同時に仕様書作成。
さらにすぐにオーサリング作業にかかります。
CGチームは仮でもらっていたデータのブラッシュアップ。
デザインチームは図柄から、保留表示、タイトル等のデザイン作業。
オーサリングは予告やスーパーリーチの演出付け(図柄の煽り等)
メーカーの方も期日優先なので、本来やろうとした演出を
幾つかバッサリとカットしていきます。
凄かったのは、誰も「間に合わない」とは思っていなかった事。
みんな「どうやったら間に合うか?」を前提に考えていました。
もちろんクオリティに関しては妥協せず、
限られた時間内でどれだけ上げられるか?
を考えた上です。
自分のその1か月弱の間、結果休み無しで企画からオーサリングの
作業を行いました。
そしてデバッグも含め、
8月19日に本当にマスターアップできました。
この機種は今とは時代が違うとはいえ、販売台数は10万台以上でした。
まさか1か月程度で完成させたその機種が、10万台以上売れるとは
今の機種開発をしている人は思わないでしょうね(笑)
その後にこのメンバーの何人かで、新たな別の機種開発を行いますが
当時のメンバーは、まるで
JAZZのフリーセッションをやっているような感じでした。
誰かのフォローを誰かが言われなくても行う。
自分の作ったものを、皆でワイワイ言いながら、もっと良いものにしようとする。
そして作っている事が楽しい。
(例え土日返上でもw)
もちろんその後も、相変わらず適当な性格が災いして
ミスもありましたし、良く怒られました。
しかし、ゲーム業界に入って2年の間に、1機種1機種確実に作っていった経験と
最高の仲間との信頼、プロ意識というものが積み重なっていきました。
しかし、そんな状態も長くは続きませんでした。
強制的に、転職しなければならない状況が発生したのです。