2015.6.5~6 諏訪方面へ行ってきました。
道の駅「南アルプス村」へ立ち寄り、気になっていた「熱田神社」へ。伊那周辺のガイドに「本殿は伊那日光と云われ、精巧な彫刻は国の重要文化財」とあったからです。
国道152号秋葉街道の一本東側の道路沿いに熱田神社はありました。
その空気、空間に、思わず、おお!!と雄たけびを上げてしまいました。
熱田神社
伊那市長谷にある神社。熱田神社の創建年は不詳。
伝承によると日本武尊が東夷東征の帰りにこの地を訪れ、住民の安寧を祈り小祠を建立したのが始まりとされ、その後、日本武尊を偲んだ住民が熱田神宮の分霊を勧請。
住民の産土神(うぶすながみ)。(産土神=その人の生まれた土地を守る神。鎮守(ちんじゅ)の神)
いや~立派な神社です。
拝殿とご神木
境内にある石造りの案内板より
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熱田神社(重要文化財)
「信濃なる伊那てう里の片辺にも めぐみ熱田の神の御柱」
遠い昔の先祖たちが日本武尊を信仰し、尾張の国熱田神社の形影(三方三っ辻)をお迎えし、産土神として祀ったのが当社のはじまりである。
現在の本殿は宝暦十二年(一七六二)溝口村百数十戸の氏子が三〇〇両という大金を出しあって建築したものである。
この建築には宮大工であった当溝口村高見善八は棟梁となり、多くの職人とともに精魂こめて仕上げたもので、規模といい造作といい、近隣に比類ない豪華なものである。
特に彫刻部は上州(現群馬県)勢多郡の関口文治郎、彩色は武州(現埼玉県)熊谷在の森田清吉である。竜・象・唐獅子・花鳥などの彫刻は実に巧妙華麗で見あきることがない。それで名声が響きわたり「伊那日光」と呼ばれるようになった。
また、この本殿を風雨から防ぐため、明治二十一年(一八八八)天覆(かやぶき屋根)を再建し、以降幾たびかの屋根替えが行われ現在に至っている。
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ご神木のケヤキ 樹齢は定かではありませんが、かなりの巨木でした。
お参りして、裏へ回り、本殿へ。
本殿
「本殿は1762年に溝口村百数十戸の氏子が300両という大金を出しあって 建築した」とあります。どこかのサイトで現在に当てはめると、約300万円/戸、寄付したことになるそうです。いや~ホントに「大金」ですね。
本殿は宝暦12年(1762)に氏子の浄財で建てられたもの。
三間社入母屋造、棟梁は地元の高見善八、彫刻は関口文治郎、向拝の目貫き龍は享和元年(1801)に奉納。
建築は元より木鼻の麒麟や肘木の唐獅子・象・龍、隅木の獏など多くの精細な彫刻が施していて「伊那の日光東照宮」の別称があります。
現在の本殿は明治時代に建てられた茅葺の覆屋の中にあり保存状態も極めて高く覆屋と共に国指定重要文化財に指定。 長野県WEB観光案内所より
龍のお眼目がまん丸でアニメのようで可愛いですね。
いや~、スゴイ彫刻群です。囲われているので、撮るのがタイヘンでした。予約しておけば本殿内に入れたようです。
神社裏の小道
いや~すばらしい神社、柔らかな気を漂わせる一帯でした。来てよかったです^^
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