大宮氷川神社(さいたま市大宮区)・中山神社(さいたま市緑区)・氷川女体神社(さいたま市見沼区)を詣でました。
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大宮の氷川神社・中川の中氷川神社(現 中山神社)・三室の氷川女体神社が浅間山と冬至の日の出の線上に一直線に並ぶことから、この三社が男体社・女体社・簸王子社として一体の氷川神社を形成していたという説があります。
さらに大宮氷川神社は、富士山と筑波山を結んだ線と、浅間山と冬至の日の出を結んだ線の交差地点に位置する。
元の見沼付近に位置する氷川女体神社と氷川神社、中山神社は直線上にある。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている。これらから、3社で一体の氷川神社を形成して見沼を神池「御沼」として広大な神域を有していた、とする説がある。by wikipedia
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というわけで、まずは「大宮氷川神社(埼玉県大宮区)」
二の鳥居
たくさんの人が歩いていました。神社の脇には、サッカー場、野球場、陸上競技場などがあり、そこへ向かうストリートでもあるようです。
氷川参道
敗戦後の大宮駅前の闇市時代を経て、参道は南北に2km伸び、現在ではケヤキ並木となっています。
杉からケヤキに変わったのは戦中、戦後の資材難から伐採された事や、車の排気ガスや振動、地下水脈の低下や歩行者による根元の踏み固めなど複数の要因が考えられます。更に古い時代には参道沿いに松の並木が描かれている絵図がありますので松並木の時代もあったようです。
三の鳥居
額殿
三の鳥居をくぐり境内に入るとすぐ右側に神楽殿、額殿があります。額殿は江戸末期の頃の建物のようです。
稲荷神社(境内社)
宗像神社(境内社)
赤い橋を渡ると「桜門」
桜門をくぐると・・・
舞殿 神楽殿ですね。
舞殿、拝殿の辺りはとても広々としています。
拝殿
参拝者は途切れません。
大宮氷川神社(武藏國一之宮 氷川神社)
東京都・埼玉県近辺に約200社ある氷川神社の総本社。
主祭神: 須佐之男命・稲田姫命・大己貴命
神社の境内は見沼(江戸時代中期まで存在した広大な沼)の畔に立ち、もとは見沼の水神を祀っていたと考えられている。
現在の神池は、見沼の名残である。埼玉県・東京都の荒川流域、特に旧武蔵国足立郡を中心にして氷川信仰に基づく氷川神社が多数分布する。
埼玉県・東京都の荒川流域、特に旧武蔵国足立郡を中心にして氷川信仰に基づく氷川神社が多数分布しており、当社はその中心である。さいたま市「大宮」の地名は、当社を「大いなる宮居」と称えたことに由来する普通名詞から転じたものである。
神社の境内は、見沼(江戸時代中期まで存在した広大な沼)の畔に立ち、もとは見沼の水神を祀っていたと考えられている。神社の南側に広がる神池(かみいけ)は、神社の西側から涌き出た地下水が溜まったものであり、かつて見沼の一部であった。
by wikipedia
武蔵国の「一宮・三宮に関する議論」は割愛します。他の武蔵国の神社紹介の時にでも触れますね。小野神社、大國魂神社辺りで。。。
本殿と神輿舎
力石
門客人神社と御嶽神社(境内社)
門客人神社は、元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、アラハバキが「客人神」として祀られている。このアラハバキ社は氷川神社の地主神である。この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造(无邪志国造)は出雲国造と同族とされ、社名の「氷川」も出雲の簸川(ひかわ)に由来するという説がある。現在祀られている出雲系の神は、武蔵国造一族とともにこの地に乗り込んできたもので、先住の神がアラハバキとみられる。byp wikipedia
というわけで、 続いて「中山神社」へ
御火塚
社伝では、鎮火祭(後述)の火により「中氷川」の氷が溶け、「中川」の地名になったとされる。
鎮火祭
炭火の上を素足で渡って無病息災と火除を祈願する。かつては、薪を平年は12段、閏年は13段積み上げて夜通し焚き、炭を神前に供えていたという。古くから伝わる伝統の神事だが、鎮火祭を行ってきた講の跡継ぎがいなくなったことや、薪にするアカマツの入手が周辺で困難になったことなどから、1981年を最後に中断していた。2007年より再開。by wikipedia
拝殿
崇神天皇2年(紀元前95年)創建と伝えられ、氷川女体神社と同年代の創建となる。
別称として中氷川神社とも呼ばれる。氷川神社(大宮区)・氷川女体神社(緑区)とともに一体の氷川神社を形成していたという説がある。
「中氷川」の由来は、氷川神社と氷川女体神社の中間に位置することから付けられたという。by wikipedia
本殿
さらに本殿の裏の旧本殿
二間社流造杮葺、安土桃山時代。見世棚造から流造に発展していく過渡期の建造物と考えられている。by wikipedia
桃山様式をもつ市内最古の建造物。
実際には、暗くてよく見えませんでしたが、やはり相当に古い建造物ですね。
さらに「氷川女体神社」へ
「にょたい」の文字と響きが、う~む・・・・・(笑
氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ、旧字体:氷川女體神社)
埼玉県さいたま市緑区にある神社。武蔵国一宮を称する。旧社格は郷社。
主祭神は「奇稲田姫命」(須佐之男命の妻)。
さいたま市大宮区の「氷川神社」(主祭神:須佐之男命)を「男体社」とし、それに対し当社は「女体社」にあたる。by wikipedia
な~るほど、それで女体神社なわけですねー。
拝殿
静寂の空間が良い感じでした。
「全国で当社だけがおすすめの願いごとを叶えてくれる巫女人形(一体1200円)
「祈り方のひけつ」在中らしいです。
う~む・・・・これだけ着物を着た人形が納められているということは、願い事が叶ったわけですねえ。思いっきり、現世ご利益満載なわけですが・・・^^;
「祈り方の秘訣」が気になりますねー。引き寄せ系の手法でしょうか?
近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したもの。
見沼竜神社(境内社)
見沼の竜伝承は人身御供を求めるものから人命を助ける竜まで様々な伝承が存在する。
ここから、さいたま市は市のマスコットキャラとして「つなが竜ヌゥ」という名前でいわゆる「ゆるキャラ」が誕生しました。
境内のこの辺りの空間に引き寄せられました。
すごいコブです。
さて、神社と反対側の公園へ
赤い橋を渡ると、磐船祭祭祀遺跡がありました。
磐船祭祭祀遺跡
境内前の御幸道のつき当たりには「磐船祭祭祀遺跡」がある。元々、氷川女体神社で最も重要な祭祀は、見沼で行われていた御船祭であった。しかし、享保12年(1727年)に見沼が干拓され、見沼での御船祭が行えなくなった。そこで、見沼の一部であった場所に、池の中に丸い島を築いた祭祀場を設け、そこで御船祭の代わりとなる「磐船祭」を行うこととなった。磐船祭は明治初年には行われなくなったが、その遺跡が良い保存状態で残されている。by wikipedia