「鬼鎮神社」参拝後、「鎌形八幡神社」へ詣でました。
境内一帯は、エネルギーを奥深く秘めているものの「静寂」を感じる神社でした。
(キーンとした空気の中で自己拡大していくような・・・・)
鎌形八幡神社
平安時代の初期、延暦年間に坂上田村麻呂が九州の宇佐八幡神社宮の御霊をここに迎えて祀ったのが始まりであると伝えられている社です。
この説からすると鎌倉の鶴岡八幡宮より古いことになるようです。
昭和41年の台風の時に古木のほとんどが倒れてしまったそうですが、以前は老杉が境内を覆っていたそうです。
都幾川左岸にあるのですが、とても立派で歴史を感じさせる境内です。
木曽(源)義仲が生まれた地と云われています。
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木曾 義仲(きそ よしなか)=源 義仲
・平安末期の信濃源氏の武将。河内源氏一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。
・『平家物語』においては朝日将軍(旭将軍とも)と呼ばれている。
・出生地は義賢が館を構えた武蔵国の大蔵館(現・埼玉県嵐山町)と伝えられる。(木曾義仲誕生の地を、上野国多胡郡とする説もあり) by wikipedia
拝殿
鎌形八幡神社(本堂脇)に奉納された繭額(まゆがく)。
本物のまゆがたくさん入っています。昔のまゆは現在のものより小さく、中央がくびれた形をしている。
ひと昔前までは、町内のいたるところで養蚕の風景が見られたようです。まゆの生産量が多く通称「1トン農家」と呼ばれる家もたくさんあり、昭和の中頃までは全国的にも最も養蚕が盛んな地域でした。
ここ鎌形八幡神社にある木曽義仲産湯の清水は、義賢がこの地に下屋敷をもうけて小枝御前に生ませた駒王丸の産湯の清水と伝えています。社殿前の階段を下りた所にあり今も御手洗槽の竹筒から清らかな水が零れています。竹筒の根本の石垣の上には「木曽義仲産湯の清水」の石碑が立っています。
鎌形という名の由来として、鎌倉の鶴岡八幡宮に社殿が似ているから鎌倉の形・・・鎌形となったとも云われているようです。
人知れず・・・キーンとした静けさが漂っていました。
重厚な歴史を重ね、古社の空気が漂っていましたが、境内は、様々な思念も全ての執着も終え、ただただ雛型のようにも感じました。2016.2