軍刀利(ぐんだり)神社(山梨県上野原市棡原(ゆずりはら))を詣でました。
祭神:日本武尊
由緒沿革
人皇70代後冷泉帝御字永承3年(1049)5月創立
当初三国山頭に座し、武州檜原郷、相州佐野川郷並棡原郷の総鎮守と称されたが
野火の火災に罹り延徳年間現今の地に遷座す。
軍神として広く信仰を集め特に武門の崇敬は篤く、武田信玄は自画讃水仙図の軸を奉献岩殿城主小山田家は累代当社を崇敬し、7代の主信有は享禄3年(1531)郡内に侵入した北条軍迎撃の出陣に当り戦捷祈願をし、矢坪坂にて是を撃破敗走せしむ、御神徳に感じ金100両を寄進す。
上野原郷豪族加藤氏、小菅遠江守信景累代の主年々神社維持費を幕末に至るまで奉献す。
甲斐国史には、軍茶利夜叉明王社棡原村井戸鎮守永正8年(1511)鰐口有銘略之寛永9壬申(1633)年棟札あり略之云々とある。
現在は厄除け招福、縁結びの神として全国的に有名な神社である。尚、寛永9年(1633)社再建の折の棟札に神主石井勘五郎、大工日原村左五右衛門の名が見られる。
階段を上ると拝殿・本殿が鎮座しています。この手水舎の龍、迫力ありました。
軍神として広く信仰を集めただけあって、参拝者の力量を計るかのように睨みつけていました。
軍刀利神社・拝殿
右側の剣がすごいです。日本武尊が東征の帰りに三国山の山頂で草薙の剣を祀ったことに由来するようです。
拝殿内部。奥に本殿がちらりと見えています。
そして、こちらが本殿。すごい彫刻です。
本殿上部のまさに「鬼瓦」
昔は「軍荼利夜叉明王社」と云われていました。明治の神仏分離令で「軍刀利神社」となったようです。古神道と真言密教の修験者によって勧請されたといわれています。
軍刀利神社のある棡原は日本でも有数の長寿村でした。
次回、軍刀利神社の奥の院をご紹介します。2019.10