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「古事記」のお勉強(17)~8代・孝元天皇、9代・開化天皇、そしてヤマト王権国家の基盤を整えた10代・崇神天皇 & 天皇陵(前方後円墳)について

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  • matol
  • 2021/11/05 00:44
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第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8代天皇は、欠史八代と云われ、「古事記」や「日本書紀」にその系譜が記されている初期の天皇の系譜は、その多くが後世の創作によるものと見られ、欠史八代の天皇が実在した可能性は学術的にはほぼ無いとされているそうですが、10代・崇神(すじん)天皇は、祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を整えたとされ、実在ならば治世時期は3世紀後半のようです。

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8代・孝元天皇

孝元天皇(こうげんてんのう、孝霊天皇18年 - 孝元天皇57年9月2日)は、日本の第8代天皇(在位:孝元天皇元年1月14日 - 孝元天皇57年9月2日)。『日本書紀』での名は大日本根子彦国牽天皇欠史八代の一人で、実在性については諸説ある。
大日本根子彦太瓊天皇(孝霊天皇)の皇子。母は皇后磯城県主(または十市県主)大目の娘の細媛命(細比売命)。同母兄弟はいないが、異母兄弟に倭迹迹日百襲姫命彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)稚武彦命らがいる。19才で皇太子となる。

先帝が崩御した翌年の1月に即位。即位4年、の境原宮に都を移す。建国の地である橿原にほど近い。即位7年、穗積臣の祖の欝色雄命の妹の欝色謎命を皇后として大彦命、稚日本根子彦大日日尊(後の開化天皇)らを得た。また伊香色謎命埴安媛を妃にしている。伊香色謎命との間には葛城氏蘇我氏の祖となる彦太忍信命を得た。埴安媛との間には御間城天皇(崇神天皇)の代に反乱を起こすことになる武埴安彦命を得た。即位57年、崩御。
孝元天皇 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年10月14日 (木) 13:24 

9代・開化天皇

開化天皇(かいかてんのう、孝元天皇7年 - 開化天皇60年4月9日)は、日本の第9代天皇(在位:孝元天皇57年11月12日 - 開化天皇60年4月9日)。『日本書紀』での名は稚日本根子彦大日日天皇欠史八代の一人で、実在性については諸説ある。

大日本根子彦国牽天皇(孝元天皇)の第二皇子。母は皇后欝色雄命(内色許男命、穂積臣遠祖)の妹の欝色謎命(うつしこめのみこと、内色許売命)[1]。同母兄弟には大彦命少彦男心命倭迹迹姫命、異母兄弟には彦太忍信命武埴安彦命がいる。16才で皇太子となる。

父帝が崩御した同じ年の11月に即位。翌年、春日の率川宮に都を移す。以前の都とは大きく離れた大和盆地の北に位置している。即位6年、孝元天皇の妃(側室)だった伊香色謎命を皇后として御間城尊(後の崇神天皇)らを得た。また丹波竹野媛、和珥臣の祖の姥津命の妹の姥津媛を妃にしている。姥津媛との間には狭穂彦命狭穂姫命日葉酢媛命神功皇后の祖となる彦坐王を得た。即位60年、崩御。
開化天皇 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年10月14日 (木) 13:25

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10代・崇神天皇

崇神天皇(すじんてんのう、開化天皇9年または10年[注 1] - 崇神天皇68年12月5日[1])は、日本の第10代天皇(在位:崇神天皇元年1月13日 - 同68年12月5日)。『日本書紀』での名は御間城入彦五十瓊殖天皇祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を整えたとされる御肇国天皇。実在した可能性のある最初の天皇[2]で、実在ならば治世時期は3世紀後半。

稚日本根子彦大日日天皇(開化天皇)の第二皇子。母は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)で後の物部氏の系譜に連なる。異父兄に彦太忍信命磐之媛の祖)。異母弟に彦坐王神功皇后の祖)。19歳で皇太子となる。

父帝が崩御した翌年の1月13日に即位。2月16日に従妹の御間城姫を皇后とし、活目命(後の垂仁天皇)や倭彦命らを得た。即位5年から7年にかけて疫病が流行したが、大物主神を祀ることで治めた。即位10年、武埴安彦(たけはにやすびこ、孝元天皇の皇子)の反乱を鎮め、四道将軍を各地に派遣した。即位12年に戸口を調査して初めて課役を科したことで御肇国天皇と称えられている。即位65年、任那から朝貢があった。即位68年、崩御。
崇神天皇 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年10月15日 (金) 02:51 

さて、崇神(すじん)天皇です。

10代・崇神天皇は、ヤマト王権国家の基盤を整えたと云われます。欠史八代を越え、実在した可能性のある最初の天皇と云われます。

【竹田学校】歴史・古墳時代編④~崇神天皇王朝説~|竹田恒泰チャンネル2
 

●ここでは、崇神天皇は大和連合王権を樹立したとされ王朝交代説は否定されています。

大和国(3世紀前)・・・神武天皇

ヤマト王権(3世紀初頭・連合王権)・・・崇神天皇
(大和国と奈良盆地にあった幾つもの国と吉備の国と九州の国が連合王権として発足)
ヤマト王権・・・なぜカタカナか?→考古学上の学術用語のため

大和朝廷(4世紀後半・全国統一)

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三種の神器の一つ、八咫鏡は旅をして伊勢神宮へ。

アマテラス神武天皇の曽祖父さんのニニギノミコト三種の神器を授け、その後、神武天皇からずっと宮中で継承されてきました。しかし、崇神天皇のときに三種の神器の一つ、八咫鏡を外に出したという記録があります。八咫鏡は、最初、笠縫邑(かさぬいむら、かさぬいのむら)にお祀りされ、その後、11代・垂仁天皇の時代に倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に託され、更に八咫鏡は旅をします。最終的に伊勢の神宮に祀られます。

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大和政権下では、前方後円墳が作られるようになります。

前方後円墳 (ぜんぽうこうえんふん)は、古墳の形式の1つ。円形の主丘に方形の突出部が接続する形式で、双丘の鍵穴形をなす[1]

主に日本列島3世紀中頃から7世紀初頭頃(畿内大王墓は6世紀中頃まで)にかけて築造され、日本列島の代表的な古墳形式として知られる[1]

3世紀中ごろ、大和地方の纏向(現・奈良県桜井市)に巨大都市が出現し、最古の前方後円墳とされる箸墓古墳を築造する。これをもって古墳時代の始まりとする。その後日本各地に同じ形の墳墓が築造されていった。

大和政権の勢力下にある日本の諸地域(およびそれに影響を受けた朝鮮半島南部)でのみ見られる前方後円墳の起源については、これまでに様々な仮説が唱えられている。

最もよく知られているものは、弥生時代の墳墓から独自に発展したものであるという学説である。この説においては従来より存在した円形墳丘墓の周濠を掘り残した陸橋部分(通路部分)で祭祀などが行われ、その後この部分が墓(死の世界)と人間界を繋ぐ陸橋として大型化し円墳と一体化したと考えられる。

それに対して、各地方政権の墳墓の糾合によるという説もある。例えば「形」は播磨の前方後円型墳墓から、「葺石」は古代出雲政権の四隅突出型墳丘墓から、というように、弥生時代に作られていた各地方政権の墳墓の諸要素を糾合して、大和政権が前方後円墳を考案したという[2]

奈良県橿原市の瀬田遺跡では弥生時代終末期(2世紀頃)の前方後円形の円形周溝墓が発見されており、前方後円墳の原型である可能性が指摘されている[3]

箸墓古墳(はしはかこふん)、箸中山古墳(はしなかやまこふん)は、奈良県桜井市箸中にある古墳。形状は前方後円墳。実際の被葬者は不明だが、宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定(じじょう)されている。また、笠井新也の研究以来、邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかとする学説がある[2][3]
前方後円墳 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年10月27日 (水) 14:48 
箸墓古墳 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年10月15日 (金) 19:11 

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上記の宮内庁のHPには、神武天皇から昭和天皇までの陵墓が一覧となっています。ここには、代数、天皇名、御父、御母、御陵名、陵形、所在地、交通機関等、陵印保管場所が記載されています。10代天皇までの陵形を見ると下記のようになります。8代・孝元天皇から前方後円墳が見受けられます。

1.神武(じんむ)天皇・・・円丘
2.綏靖(すいぜい)天皇・・・円丘
3.安寧(あんねい)天皇・・・山形
4.懿德(いとく)天皇・・・山形
5.孝昭(こうしょう)天皇・・・山形
6.孝安(こうあん)天皇・・・円丘
7.孝靈(こうれい)天皇・・・山形
8.孝元(こうげん)天皇・・・前方後円
9.開化(かいか)天皇・・・前方後円
10.崇神(すじん)天皇・・・前方後円

現在天皇陵とされる古墳の中には、その天皇の治世と古墳の築造時期が大幅にずれている例が存在する。宮内庁は学術的信頼度については「たとえ誤って指定されたとしても、現に祭祀を行なっている以上、そこは天皇陵である」とし、治定見直しを拒絶している。
天皇陵 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年10月10日 (日) 09:13

前方後円墳はここまでにしておきますが深掘りすると面白そうですね。なお、16代・仁徳天皇の前方後円墳(大阪府堺市堺区大仙町)は三重濠を巡らす前方後円墳で、面積約46万4千平方メートルを有する最大規模のものです。

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上記の祭神には玄松子さんの参拝された天皇が祭神となっている神社も掲載されています。ここを見ると、例えば、
神武天皇は、
別名
若御毛沼命:わかみけのみこと
豊御毛沼命:とよみけのみこと
神倭伊波礼毘古命:かむやまといわれびこのみこと
神日本磐余彦尊:かむやまといわれひこのみこと
狭野尊:さののみこと
磐余彦尊:いわれひこのみこと
神日本磐余彦火火出見尊:かむやまといわれひこほほでみのみこと
磐余彦火火出見尊:いわれひこほほでみのみこと
彦火火出見尊:ひこほほでみのみこと
となり、彼らを祭神とする沢山の式内社も掲載されています。玄松子さんの参拝された神社だけプロットするのもタイヘンな作業になりそうです^^;、暇を見つけて少しずつ進めていきます。
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★登場する場所や主な神社は、下記の地図にプロットしました。

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