2017.8.26~27 京都・神戸方面へ行きました。前回、下記を投稿しました。
その道中にある由岐神社。鞍馬山の九十九折参道を更に登ると由岐神社が見えてきました。
由岐神社の祭神の「靫明神」は、天慶三年(940)天慶の乱が起きたので朱雀天皇の勅により、鞍馬寺に遷宮し、北方鎮護を仰せつかった鎮守社です。鞍馬の火祭は、そのときに里人がかがり火を持って神霊を迎えたことによるものだと伝承。
いや~、重厚な神門・・・と思ったら、こちらは「拝殿」のようです。
拝殿・・・神門、随身門のようですが両側が神楽殿のようでもあります。
本殿と拝殿は、豊臣秀頼により再建。特にこの拝殿は、割拝殿形式の桃山建築で、国の重要文化財に指定されています。
拝殿 境内側から。
拝殿と本殿をつなぐ石段の脇の御神木の「大杉」
この境内で圧倒的な存在感を魅せています。京都市指定天然記念物で樹齢800年。高さは53メートル。
本殿
拝殿の雰囲気から、大きな本殿があると思ったのですが、割と小さな本殿です。ただ、この小さ目な本殿前の空気・空間は、とても居心地の良かったですね。山の中腹に鎮座し静かに京都を見守っている・・・そんな雰囲気でした。
天慶に入り、都は大地震や平将門の乱(天慶の乱)と相次ぎの災いで世情不安となりました。
天下泰平と万民幸福を祈念致し、朱雀天皇の詔により天慶3年(940年)の9月9日御所にお祀りされていた由岐大明神を都の北方にあたる鞍馬に地にお遷しされました。
この御遷宮の時、鴨川に生えていた葦で松明を造り、道々には篝火を焚いて、神道具を先頭に文武百官供奉の国家的一大儀式により御勧請されました。
その行列の長さ10町(1km)にもなったと言われております。
この儀式に感激した鞍馬の住民が、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え遺し守って きたのが鞍馬の火祭の起源であります。
その後豊臣秀吉の信仰もあつく、慶長12年に御本殿と拝殿が豊臣秀頼によって再建されました。特に拝殿は中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿で桃山時代の代表的建造物でもあり現在は国の重要文化財に指定されております。通称、靫明神(ゆきみょうじん)。大己貴命と少彦名命を主祭神として「由岐大明神」と総称し、八所大明神を相殿に祀る。
靫(ゆき、ゆぎ)・・・・矢を入れ、背に負った細長い箱形の道具。