友人が、四国、行ったことないなあ。行ってみたいなあ・・・なら、旅行企画するか!という乗りで友人と四国旅行へ行ってきました。6月末も候補に上がっていましたがコロナ禍のタイミングで先々どうなるか分からないので5月末で計画。私は、国内の1都1道2府43県のうち、「高知県」のみ足を踏み入れたことがなかったので良いチャンスかなと^^
今回の旅行は、愛媛県>高知県>徳島県をかすめて>香川県というコース。いや~、机上の距離以上に遠かったあ。甘く見てました(笑)
2022年5月27日(金) ANA 585 東京(羽田)(09:30) - 松山(11:00)
雨の羽田空港 出発!!
あっという間に瀬戸内海^^ よい天気^^
前方カメラより。飛行機に乗るのは2年ぶりだわ。
松山空港でレンタカーを借りました。レンタカーの事故が多発しているのでくれぐれも注意せよと。確かに空港から市内へ入ると、何となく運転しにくい。停止線の位置や信号の位置が本州と微妙に違うような・・・。慣れない道での運転で事故が多いのも解るような気がする。。。また、松山市内には路面電車・伊予鉄道が走っています。道路上を並走したりするので要注意ですね。写真はありませんが、一日、路面電車で市内観光するのも良さそうですね。
さて、松山城の駐車場に入れようかと思って探しましたが、市街地なので大きな駐車場がないんですよー。その中でも割と大き目の駐車場に入ろうとしたら満車。駐車場のおじさんにコインパーキングやら美味しいご飯処の情報をもらいました。とても親切^^
元祖 宇和島鯛めし 丸水 本店 お勧めの鯛めし屋さんで昼食。金曜日でしたがさほど混んでなくてラッキーでした。
愛媛県 宇和島が鯛めし発祥のようです。天然真鯛めし2200円。ご飯がすすみますね~。
その後、すぐ近くの松山城のロープウェイ乗り場へ。
松山ロープウェー街という商店街の中に乗り場があります。なんか不思議な感じ。
ロープウェイとリフトがあって、行きはリフトで。松山城が見えてきています。
立派な石垣です。
う~ん、デカいな。。。。
松山城築城主の加藤嘉明公の甲冑と伝えられています。頭の羽根がカッコいいですねー。
加藤 嘉明(かとう よしあきら[2] / よしあき[3])は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名。豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人。伊予松山藩および陸奥会津藩初代藩主。
加藤嘉明 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
城内にはVRコーナーもありましたよ。
天守からの眺めはとても良かったです。瀬戸内海も見えていました。暑い陽ざしでしたがココは風が気持ちよかったです。
帰りはロープウェイで^^
その後、どこかお寺に参ろうということで、四国八十八箇所第51番札所・石手寺(いしてじ)へ。
対面の有料駐車場に入れて、いざ参拝。
「やきもち」(笑)食べてみても良かったなあ。。 境内、奥が深いです。
山門
お遍路さんもおられましたよ。
三重塔
本堂
と、ここまでは普通のお寺のようなのですが、本堂裏にはマントラ洞窟 という洞窟がありました。
更に出口を出ると奥の院があります。
この洞窟もその先の奥の院もまさに異次元空間で、ちょっと写真を載せるは控えます。
いや~、すごいお寺でございました。
石手寺(いしてじ)は、愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第51番札所。遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺でもある。初詣・厄除詣の参詣者数は県内随一であり、道後温泉から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことが多く、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定された。
寺伝によれば、神亀5年(728年)に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置して開基したという。創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗であったが、弘仁4年(813年)に空海(弘法大師)が訪れ、真言宗に改めたとされる。寛平4年(892年)領主・河野息利に生まれた長男・息方が当寺で祈祷を受けると握っていた手から「衛門三郎再生」と書かれた石が現れたという衛門三郎再来の伝説によって石手寺と改められた。
石手寺 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2022年5月7日 (土) 05:42
その後、近くの伊佐爾波(いさにわ)神社を参拝。
楼門
拝殿
本殿 寛文7年(1667年)造営。
八幡造の社殿。2棟の建物を前後に連結させてひとつの社殿としたもの。
境内では鳥や動物?への高周波発生装置のような変な音?が気になって私的には神域の空気感を味わうことができませんでした。残念。。。。
伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)は、愛媛県松山市にある神社。式内社で、旧社格は県社。神紋は「左三つ巴」。別称として「湯月八幡」・「道後八幡」とも呼ばれる。
国の重要文化財に指定されている社殿は、全国に3例しかない八幡造である。このほか、重要文化財の太刀(銘 国行)が伝えられている。社伝によれば、仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に来湯した際の行宮跡に創建されたという。旧鎮座地は「伊佐爾波岡」と呼ばれていた場所で、現在の湯築城跡とされる。
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「伊予国温泉郡 伊佐尓波神社」と記載され、式内社に列している。神仏習合の時代には、宝厳寺と石手寺は、共に伊佐爾波神社の別当寺であったとされる。
伊佐爾波神社 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年3月14日 (日) 14:58
拝殿前より 夕陽の頃、光の参道が見られるのかな?
その後、早めにチェックインして道後温泉本館へ。
道後温泉商店街入り口
道後温泉本館
おお!ここか!しかし工事中なんですよね~。残念。まあ、それを知った上で「霊の湯」だけでも入りたいと思ってたのだが・・・
空いている時間帯に対応できたと思ったが、それでも整理券が出てて1時間以上待ち^^; 旅行一日目で疲れてたし、ここまで来て並びたくも待ちたくもないということで諦めました。
日本で唯一の皇室専用浴室「又新殿(ゆうしんでん)」入ってみたいなあ。。。
工事中なわけですが、なにもこんな派手な覆いをしなくても良いのでは?そもそも四国旅行を決断した大きな理由は、この道後温泉本館目当てだったのですが、まさか工事中だとは知らなかったんですよね~^^;
道後温泉本館(どうごおんせんほんかん)は、愛媛県松山市の道後温泉の中心にある温泉共同浴場。重要文化財であり道後温泉を象徴する建築物。
戦前に建築された歴史ある建物(近代和風建築)で、街のシンボル的存在であり、1994年に国の重要文化財(文化施設)として指定された。共同浴場番付において、東の湯田中温泉大湯と並び西の横綱に番付けされているほか、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において2つ星に選定された。2009年、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定。道後温泉本館 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年5月13日 (木) 21:22
リーズナブルなホテル(もちろん道後温泉)でしたが、夕食美味しかったですよ。歓楽街のビルが目の前にそびえていました(笑)。四国は全体的に宿泊代は、他エリアよりも安かったです。つづく~
道後温泉(どうごおんせん)は、四国・愛媛県松山市(旧国伊予国)に湧出する温泉である。日本三古湯の一つといわれる。
その存在は古代から知られ、万葉集巻一にも見える。なおかつてはこの周辺が温泉郡(おんせんぐん)(湯郡)と呼ばれていたが、これはこの温泉にちなむ地名である。
夏目漱石の小説『坊つちやん』(1905年)にも描かれ、愛媛県の代表的な観光地となっている。2007年8月に地域団体商標(地域ブランド)として認定された(申請者は道後温泉旅館協同組合、登録商標第5071495号)。
単純温泉。源泉温度42 - 51度(これらを混合して46度で供給している)。地熱由来の非火山型の温泉である。
道後温泉 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年11月11日 (木) 09:43
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