この話は私が二十歳の頃、仕事で半年ほど中国に滞在していた時のことです。
幽霊や怖い人に遭遇したという類のものではありませんので、怖い話かと思ってこの記事を開いてくださった方にはご期待に添えることができず申し訳ないです。
ただ、思い出すたびに何とも言えない薄気味悪さと後味の悪さが残る思い出があるので、それをご紹介させていただきます。
これは中国が怒涛の勢いで近代化を進めていた時代のことです。
私は二十歳になった年の6月に、中国のとある田舎の都市に日本語教師として赴任しました。
現地に到着してすぐに赴任先の学校が夏休みに入り、特にやることもなく暇を持て余していた私でしたが、校長先生のはからいで3週間ほど有名な観光地である西安で過ごすことになりました。
学校には西安出身の男性の同僚がおり、夏休み中は地元に帰っているので、私が西安に滞在している間は彼が私に観光案内をしてくれるということでした。
この頃の中国の電車事情はまだまだ不便で、赴任先から西安へは電車で約一日かかるのですが、私の乗った列車は到着時間が予定より何時間も遅れ、西安駅に着いたのは朝の7時半ごろでした。
駅を出ると、朝日に照らされた街は静かで空気は清々しく、私はいっぺんに西安が好きになりました。
私の宿泊先は西安郊外にある『招待所』と呼ばれるところで、食事は招待所のそばにある印刷工場の食堂を利用させてもらいました。
招待所も工場の食堂も一般の外国人は利用できないのですが、同僚が掛け合って私が使えるように手配してくれたようです。
そのおかげで滞在費用はかなり安くすみました。
同僚の家は招待所の近所にあったので、毎日招待所にきて私に付き合ってくれました。
古都西安には有名な観光地が数えきれないほどあり、同僚は日替わりで兵馬俑や始皇帝陵、大雁塔、碑林など主だった名所旧跡に連れて行ってくれました。
西安の街をただぶらぶらするだけの日もありましたが、それだけでも十分楽しかったです。
8月の西安はそれなりに暑く、その頃はまだ冷房の効いた建物はほとんどありません。
私達は連日、うだるような暑さの中歩き回っていました。
ある晴れた暑い日の午後、私と同僚は西安市内の比較的大きな通りの歩道を歩いていました。
私は進行方向の少し先に地下鉄の入り口のようなものを見つけたのですが、その年の西安はまだ地下鉄は開通していません。
近づいてみると、地下鉄ではなく地下道の入り口でした。
広い道路を横断するための地下道のようなのですが、そこに入っていく通行人はなぜか一人もいません。
中国はどこへ行っても人が多く、歩道にも通行人があふれているのですが、その地下道は誰も見向きもしておらず、そこから出てくる人もいませんでした。
よく見ると、地下道の入り口の脇に立て看板がおいてありました。
その看板にはこう書かれています。
『双頭人』
その文字の下には「頭が二つ生えた子供のようなもの」が描かれていました。
同僚に「この看板は何?」と聞くと、「『双頭人』が何かはわからないけど、たぶん、この地下道の中でなにかやっているんだと思う」と答えました。
私は、地下道の中で双頭人の絵か人形など、なにかしらの展示をやっているのかと思い、好奇心から「入ってみたい」と言いました。
オカルト好きな私は、もしかしたら中国にもお化け屋敷のようなものがあるのかも知れないと思い、見てみたかったのです。
二人で階段を下りていくと、中は静かで薄暗く、とてもひんやりしていました。
階段を降り切ると、数メートル先に男性が一人木の椅子に座っているのが見えます。
その男性が私達を見て「観覧するならお金払ってください」と言ったので、同僚が言われた金額を払いました。
正確な金額は忘れてしまいましたが、日本円換算で一人数十円程度だったと思います。
お金を払ってさらに数メートル歩くと、正面は突き当りで地下道は左に道が伸びているようです。
どうやら、その曲がった先に何か展示物があるようなのですが、私達以外には誰もいないようで、話し声や足音は一切聞こえてきません。
その先に何もなくとも十分薄気味悪い空間でした。
私達が通路に沿って左に曲がると、その先には意外なものが展示されていました。
地下道の両側にいくつかの木の机が並べられ、その上に大きなガラス瓶が少し間隔をあけてぽつんぽつんと置かれています。
近づいてガラス瓶の中をよく見ると、それは人間の結合双生児のホルマリン漬けでした。
たしかに、外の看板の絵にあったような一つの体に頭が二つある胎児の標本もありました。
他にも無脳症児や手足の奇形といった様々な形をした胎児が展示されていました。
どんな感じのものなのか知りたい方は、『結合双生児 ホルマリン漬け』あたりで画像検索してみてください。あまり、おすすめしませんが…
壁を見ると、展示物の説明が書かれた板がかけられていました。
『〇〇村で生まれた奇形児の標本』
『〇〇村では近親婚を繰り返してきたため胎児の奇形が多く発生している。近親婚の危険性を広く知らせるべく、人々への啓蒙活動としてこの標本展示を行っている』
というようなことが書かれています。
同僚はそれを読んで納得していたようですが、私はすんなりその説明を信じる気になれませんでした。
近親婚を繰り返すと奇形児の発生率が高くなるという話は聞いたことがありましたが、それにしてもここまでの異常が出るものだろうか?と思ったのです。
その展示には、体の一部に奇形や欠損があったり双生児の一部が結合しているだけでなく、異常なところから手足が生えていたり人間の形を成していないなど、ベトナム戦争時にまかれた枯葉剤の影響を受けた結合双生児たちを連想させるものが多くありました。
もちろん、近親婚によって生まれた子供たちというのが真実だったのかも知れません。
しかし、実際に中国で暮らして食品の安全性の低さや薬品管理のずさんさを目の当たりにしていたため、これらの胎児の奇形も実は農薬などの化学物質によるものではないかという疑惑が浮かんだのです。
見ているうちに鬱々とした気分になってきて、そのうえ「啓蒙活動のための展示と言いながらお金を取るなんて、この子供達でお金稼ぎしたかったのか?」と思えてきて嫌悪感まで沸いてきました。
地下道の中はとても涼しくて快適でしたが、私達はそこに長居する気になれず、そうそうに引き返すことにしました。
階段を上るにつれて強烈な日差しと暑苦しい街の喧騒が押し寄せてきます。
「ああ、日常に帰ってきた」と、少しほっとした気分になりました。
あれからかなりの時が立ちましたが、あの地下道のどの情景を思い出しても、まるで異空間に入り込んでしまったような不思議な気分にとらわれます。
どこまで続いているのかわからない、誰もいない仄暗い地下道
真夏なのに冷蔵庫に入ったようにひんやりとした静かな空間
コンクリートの壁沿いに並べられたホルマリンのガラス瓶
正常な人間の形をなさずに生まれてしまった可哀そうな胎児たち
中国滞在時の思い出はたくさんありますが、この西安の地下道は暗く異質な体験として強く印象に残っています。
哀しくも不気味な空間でした。
(おわり)
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