■風魔小太郎=アナキン・スカイウォーカー仮説
風魔は日本史のなかで「鬼」の系譜に連なると考えられる。稗史の底に隠棲する謎の一党風魔は、その5代目頭領と目される小太郎の名が唯一『北条五代記』に史料として残るのみで、委細は闇の底に沈殿したきり面影を現さない。そのわずかな手掛かりは、小太郎が「身の丈七尺二寸、筋骨荒々しくむらこぶあり、眼口ひろく逆け黒ひげ、牙四つ外に現れ、頭は福禄寿に似て鼻高し」という異形の相であったと記されていること、風魔一党が「乱波(忍者)」であったこと、そして何より「風魔」の名が奇しくも「神風」という語の鏡像を描いていることである。
そんな風魔の正体について、このレポートでは小太郎を映画『スターウォーズ』に登場するダークヒーロー、アナキン・スカイウォーカーに擬えながら推論を試みようとしている。更にその推論の帰結には、図らずも、混迷する現代社会に風穴を穿つような視座をもたらす可能性が秘められていることを申し添えておきたい。
尚、アナキン・スカイウォーカー(=後のダースベイダー)なる人物はもちろん架空のキャラクターであり、ここで引き合いに出す目的はあくまでもその知名度と存在感を借りて風魔像を描く援けに過ぎない。『スターウォーズ』の物語世界に深入りするのは避けることをお断りしたうえで、両者の共通点を予めキーノートしておこう。
1)特殊能力(フォース、忍術)の使い手として「選ばれし者」であること
2)避け難い運命でダークサイド(≒裏社会)へ堕ちて「鬼」の系譜に連なること
3)歴史や社会の表舞台に登場することなく伏在する「アソシエーション」の一味であること
以上を発端として、「風魔」及び「風魔的な存在」について駆け足で概観しながら、来るべき社会モデルのブループリントまでを見据えてみたい。
■「選ばれし者」
風魔の元々の本姓は「風間」であったと伝えられる。先ずはこの風間姓の字義を紐解くことから始めてみよう。
白川静『字統』によれば、「風」の字形は神聖な鳥(鳳)を描いたもので、四方(東西南北)に宿り日月を司る自然神「方神」と、その使者「風神」に起源するものと思われる、とある。つまり「風」とは、神の使者として神意を伝達し自然と人間とを仲立ちするメディエーターなのである。
一方「間」は、旧字では「門」の中は「月」で、「月」の字形が「肉」に由来することから、その字義は門中に肉をおいて祀り安静を祈願する意とあって、それによって動静を察することから「間諜(=スパイ)」などの意へ転じたという。
つまり「風間」とは、神もしくはそれに準じる者に使役される特命を帯びた遊軍であることが字義から読み取れる。風魔と同じく乱波として有名な伊賀や甲賀の一党が土地の名を冠して呼称されることと比してみても、風魔の名には特別な意が込められているように見える。忍者漫画の風魔が「全国の忍びの生活と権利を守るための組織」(白土三平『風魔』)として、謂わば「忍者 of 忍者」の如く描かれているのは、おそらくこうした事情に着想を得ているのだろう。
また、伊賀や甲賀の乱波が普段は農業や行商をして各地の情報を探っていたと伝えられることにも注目しておきたい。古代律令制以来、こうした遊行民たちは関渡津泊を自由に往来する特権を天皇やその親族から直々に与えられて、様々な物品や情報を津々浦々へ伝播させる役割を担っていた。貨幣経済以前の社会においては、物品が商品として流通するには品物を贈与互酬の関係から切り離す必要があり、それゆえ日常生活のしがらみから無縁の者たちが交易を媒介したのである。
彼ら道行きの者たちの実態は、例えば鋳物師・手工業者・傀儡子・白拍子などの職能民や芸能民であり、南北朝時代に天皇の権威が失墜するまでは社会のなかで聖別された地位にあったと考えられている。このような無縁の公界を生きる渡世人の間に、おそらく風魔一党の源流があったのではないだろうか。
■「鬼」の原郷
次に、風魔の「魔」の字義についても考察しておこう。
「魔」は、仏教でサンスクリット語「mara」を「魔羅」と漢訳する際に「鬼」に「麻(ま)」を加えて生まれた当て字であり、字義は「鬼」に従う。「鬼」の字形は、祝祷を収める器を手に捧げ持つ姿を描いたもので、招魂によって帰り来る死者の魂を表し、その頭が大きく異形であるため畏るべきものの意を含むようになった。中国の古書『周礼』によれば、「神」には天神・地祇・人鬼の三種があって、天神が自然神であるため祖霊を含まないのに対して、人の霊を人鬼と称するという。
但し、「鬼」についてのこうした概念は漢字伝来と共に大陸から列島へ持ち込まれたものであり、日本語の「おに」が中国の「鬼」とは全く別系統の信仰や生活実感として存在していたことには留意しておくべきだろう。飛鳥時代に仏教や陰陽五行の思想が伝来する以前の日本には自然信仰に基づく八百万の神観念が根づいており、天から降る雨が恩恵と災厄の両面をもたらすが如く原初の「神」は「鬼(=荒ぶる神)」と同体であったのだ。
これを裏づける事例として、聖徳太子の母が「神隈」「鬼隈」と二様の名をもって伝えられており、人々が神と鬼に抱く畏怖の念は近似であったことが窺える。また『万葉集』など初期の日本文学において「鬼」は「もの」「しこ(醜)」などと訓じられる用例が見え、日本人の深層心理に宿る不安や畏怖感は始め不定形な「もの」として語られ、次第に実在感を持った存在として成長し「しこ」として嫌悪されながら、「かみ」から分離して「おに」の体系を成すに至ったのであろう。
こうして「鬼」という語によってカバーされるイメージの領域は日本社会の成長に従って肥大し、さらに律令国家の成立以降は都への人口集中と相俟って「ケガレ(穢れ)」の観念と結びついて制度化されて行く。何故なら、ケガレは伝染すると考えられていたうえ、天皇は自然の運行と不可分の存在とされていた為、ケガレは国を挙げてクリーンナップすべき対象とされたのである。
最も原初のケガレは、神界で大暴れをしたスサノオが高天原から追放される神話に事例を見ることができる。母子相姦や獣姦、農業を妨げる行為など、あるべき秩序や規範に背く行為は「罪ケガレ」と見なされ、処罰や追放の対象となった。下って、イザナキの黄泉国訪問譚には「死ケガレ」の原風景が見られる。人間にとって死や出産は避けられない自然現象であるが、いずれも社会の均衡を崩すという理由からケガレとして忌避された。ただし古代の日本人にとっての死は、他民族の冥界観にみられるほどの凄惨過酷なイメージには乏しく、畏怖の対象であるより汚さや醜さへの嫌悪が勝っていたようである。
古代において、こうしたケガレは身体の表層のみに生起する現象で「ハラヘ(解除)」や「ミソギ(禊祓)」によって浄化できるものと信じられており、公式に「キヨメ(浄め)」を統括管理する官庁として検非違使が置かれた。検非違使は、陰陽寮や神祇官が御卜のみを行うのと異なり、ケガレの有無や判定を行うだけでなく、禁忌を憚らない者と見做されていた河原者(放免された前科者)や非人たちを刑吏として取立てて、刑の執行や死体の処理等、様々なケガレのキヨメに当たらせた。
左の絵図は法然(1133〜1212)の弟子安楽房が六条河原で処刑される場面を描いた『法然上人絵伝』の一部だが、立烏帽子に髭、異形の棒を担いだ刑吏=河原者の出で立ちは、後の婆娑羅や傾奇者の流れに連なるばかりか、史書に描かれた風魔小太郎の相貌にも通じるように見える。
また疫病(急性伝染病)をケガレとみる観念も古代から存在していたものの、慢性の病や不具者は初期においてはケガレに含まれなかった。ところが、仏教伝来後に罪報の観念が広まってからは「病ケガレ」が厳しく忌避されるようになって行く。
■伏在する「アソシエーション」
ここで一旦話を整理しておこう。始め「もの」として日本人の深層心理にあった不安不快や畏れの観念は、日本社会の成熟に伴って多様多層に増大しながら概念化され、「ケガレ」の制度と結びついて社会的にクリーンナップされる対象となって行った。このとき「キヨメ」の現場を取り仕切る役割を委ねられたのは、今日的な感覚で言うところの「しこ」や「おに」の様相をした、社会の辺境に棲む者たちであり、風魔の源流はおそらく彼らのうちに見出せるのではないか、という推論である。
さて、これら聖なる職能民たる風魔的な者たちの社会的地位は、中世に至って二つの大きな転換期を迎える。その一つ目は鎌倉時代の元寇による。モンゴル帝国の襲来(1274、1281)は「神風」によって撃退されたが、このときに特別な霊力を発揮したとされるのが太宰府の天神だった。神国日本は、天神の霊威による「神風(=荒ぶる神=鬼)」によって勝利に導かれた訳であるが、当時の人々にとって敬神の観念こそが絶対的な正義として君臨する結果となった。そのため寺社勢力の権威は増大し、異国降伏のために施される調伏儀式は国内の「異端」をも容赦無く排斥していくことになる。こうして体制仏教による支配(≒マインドコントロール)は正当化され、寺社以外の者は罪深い存在として貶められ、異類異形の出で立ちを嫌悪する空気が社会に広まり、以降「悪党」という語は婆娑羅や傾奇者の様相をシンボリックなイメージとして取り込みながら、滅亡させるべき国内の異端集団を示す用語となっていった。
ところで太宰府の祀神は、広く知られている通り菅原道真である。道真は、平将門、崇徳院と並んで日本の「三大怨霊」と称されている。怨霊とは死後に落ち着くところのない霊魂のことで、古代以降の日本では怨霊が憑依することによって疫病や天変地異などの祟りがもたらされると信じられ、時の権力者によって調伏の対象とされてきた。そんな「怨霊(=鬼の権化)」が歴史の綾のなかで正義へと変換されたりもするのであるから、事の善悪や大義名分のごときはよくよく吟味読解しなくてはならない。
平将門についても同様で、将門の叛乱(939〜940)は東国を朝廷の支配から解放しようとした面もあったため、関東では怨霊として封ぜられた将門を英雄として崇める風潮が今も根強く残っており、後述するように風魔もこの一翼に連なると思われる。一方、風魔が仕えた後北条氏はこの朝敵将門を討った側である平貞盛の四男平維衡から始まる伊勢平氏であり、そんな北条氏とは信条の出自が対極にあるはずの風魔が主従の契りを結んだのはいかなる経緯があったのか、ここでもまた神と鬼との錯綜が見られるだろう。おそらくは、西国の朝廷に対抗する東国氏族の誇りにおいて両者が共鳴し合ったのではないかと私は推察する。
話を戻そう。聖なる職能民たちにとって二つ目の転機は南北朝時代だった。鎌倉幕府滅亡の後を受けた後醍醐天皇による建武の新政(1333〜1336)が短期間で失敗に終わると、日本社会を統制する権威が崩壊し権力が分散され、入れ違いに経済の力が台頭し始めた。これにより、天皇や神仏の聖性によって庇護されていた職能民たちは拠り所を失い、以降は時代を下るほどに「貧ケガレ」を重くまとって差別や嫌悪の対象となり、コミュニティの境界領域に棲む「鬼」として物語られていくことになって行ったのだ。
つまり「鬼」とは、ときに盗賊などの姿で暗躍し社会秩序を脅かす存在となって跋扈するのだが、その実体は社会の暗黒部に生き耐える人々の意志や姿であり、爛熟し頽廃に向かいつつ時代の底辺に沈殿する憤怒や怨念の表象でもあるのだ。彼らにとっては既存の秩序のなかにあるものを奪う以外には生きしのぐ術がない状況に追い込まれているという側面を否定することは出来ず、そうした意味において「鬼」の存在には社会のダークサイドを告発する機能と、権威や既得権益と対峙するオルタナティヴとしての属性を認めることも可能だろう。
元柏市議小川達夫さんの調べ(下総の歴史と小田原城)によると、戦国期の小田原で暗躍した小太郎率いる風魔一党は小田原落城後、一部は水戸小金村へ逃げて日暮氏の配下で忍者となり、一部は取手(トリデは砦)小文間村の盗賊団になったという。何れの土地も将門にシンパシーを抱く風土であり、家康はこうした勢力を抑える思惑もあって小田原ではなく江戸に幕府を置いたのだという。
■「鬼」の棲処
以上のように、今日において「鬼」と呼ばれる存在は、穢れ(=社会的な不安不快や畏れ)・異端(=マイノリティ)・反体制・反秩序などの特質と結びつけて概念づけられているものの、それらはみな社会が文明化される過程で避け難く生じた副産物であるばかりか、誰もが我が身の内に鬼的な要因を宿していることを忘れるべきではないだろう。私たちの社会には今も昔も神と鬼と人がキメラ状に混在しており、こうした事情は未来においても変更されることは決してないだろう。
であるならば、「鬼」のための正当な棲処はどのように用意されるべきなのか。
この問いに対する回答例として、「弾左衛門」の制度を共生モデルとして紹介しておきたい。弾左衛門とは江戸時代に武家身分の最下層におかれた職掌で、関八州と伊豆の全域、および甲斐、駿河、陸奥の一部の被差別部落を統轄するとともに、「触頭」として全国の被差別部落に号令する権限を幕府から託されていた。「弾」は弓で弾を弾く字形で「祓う」「糾す」の意があって、古代律令制下に置かれた「弾正台(=検非違使の前身)」が職掌名の由来である。封建制度下で社会秩序の維持に役割を果たしたばかりか、被差別民を職能民として機能させる手配師の側面もあって、この職掌に当たる者は歴代この名を襲名したが、ケガレ意識が強まるに伴って武家階級から切り離されて賎民の扱いを受けるようになり、幕末維新期の第13代弾左衛門の死と共に消滅してしまう。弾左衛門制度の廃止には、現代に至る同和問題のルーツの一端をみることが出来るだろう。
ちなみに、家康が初代弾左衛門を任命する以前に同様の職掌を担って関八州を束ねていたのは小田原の長吏太郎左衛門という者だった。つまり、かつての小田原は「鬼」と共生し互恵関係を築くような社会モデルを実現していたと言えるだろう。太郎左衛門はその後、北条氏直から与えられた証文を持って職掌の継続を幕府へ申し出たのであるが、これを没収され、代わりに鎌倉の弾左衛門を家康が取り立てたと伝えられる。
さらにもう一つの視点として、やや唐突ではあるが、近代以降の国民国家が模索してきた社会モデルについて「自由」という概念を手すりに下図に示してみた。
国民国家とは「国民的同一性を基礎として成立した近代的中央集権国家(大辞林)」であるという。では国民的同一性とは何か?そもそも国民とは誰か?国家とは何か?それらを規定しているのは法や慣習である。そして詰まるところ、法は暴力によって担保されており、慣習は建国神話を拠り所にしている。
そうした観点に立てば、国民国家におけるイデオロギー論争は概ね上図[象限A⇔象限C]の対角線上で交わされていると見ることが出来るだろう。これに対して現在進行中のIT革命は、[象限B⇔象限D]の対角線上に社会モデルの地平を拡大しようとしているように見える。
もしもブロックチェーンが巷間伝えられるような自律分散型のプラットフォームを期待通りに提供するとしたら、真実はありのままスコアリングされ、一切の偏向した作為は殲滅され、それでいて野放図にも寄らないコミュニティが構築されることだろう。鬼と人とが共棲する社会モデルは、おそらく自律した意思と権威が分散された土壌において勃興されるであろうと予想され、その期待は象限Dに注がれているように感じる。そしてその社会モデルを実現させるにあたっては、「鬼」或いは「風魔的な存在」についてあらためて点検しておく準備が要請されているのではないだろうか。
《主な参考図書》
『古事記』
『万葉集』
『今昔物語集』
『字統』白川静
『風魔』白土三平
『鬼の研究』馬場あき子
『境界の発生』赤坂憲雄
『日本神話の源流』吉田敦彦
『隠された神々 古代信仰と陰陽五行』吉野裕子
『古代から来た未来人 折口信夫』中沢新一
『「神と鬼のヤマト」誕生』関裕二
『怨霊とは何か』山田雄司
『検非違使 中世のけがれと権力』丹生谷哲一
『日本の歴史をよみなおす』網野善彦
『中世の非人と遊女』網野善彦
『東と西の語る日本の歴史』網野善彦
『異形の王権』網野善彦
『無縁・公界・楽』網野善彦
『神風と悪党の世紀』海津一郎
『経済の誕生』小松和彦x栗本慎一郎
『弾左衛門とその時代』塩見鮮一郎
『家康はなぜ江戸を選んだか』岡野友彦
『アナーキー・国家・ユートピア』ロバート・ノージック
『世の初めから隠されていること』ルネ・ジラール
『〈インターネット〉の次に来るもの』ケヴィン・ケリー
『ブロックチェーン・レボリューション』ドン・タプスコット+アレックス・タプスコット
『国家と「わたし」の行方』松岡正剛