どうも。
もふお。でございますよ。
まぁタイトルの通りで最近何回も病院に呼び出されては付いているんですよね。
最後の粘りなのか危ないと言われてから二週間頑張っています。
こんな事をALISに載せるのは不謹慎で面白いお話しでは無いのですが書き綴って置こうと思いました。
親父は満84歳です。
それを聞くと👂私も相当オッサンなのでは??って思われる方もいると思いますが私はまだ30台前半ですww
あ、オッサンか、、、。
親父はずっと好き勝手に生きて来ていたみたいで実家は7人兄弟の長男らしいです。
でも、現在病院に見舞いに来てくれる人は誰もいません、人間最後の時にその人が生きてきた人望というか徳というかその様な物が現れてしまいますね。
もう、私だけですもん。
小さい頃には父親の給料日には消費者金融巡りをしてお金を返すのに付いて行ってその帰りに【ココス】というファミレスでハンバーグを食べるのが楽しみでした。関西だけかな?包み焼きハンバーグが有名なファミレスです。
家に一人で留守番をしてると親父はいるかと怖い人が来た事もあります。
休みの日には1000円を握らされてオモチャ屋さんに連れて行かれてココで待っててと何時間も待たされていました。
向かいのパチンコ屋さんに行ってたんです。
当時は車内放置なども社会的な問題にはなっていなかったのですがそれだけはされなかったですね。不幸中の幸いですか?
そして母親は男を作って、仕事に行って来ますとそのまま帰らずww
親父はトラックの長距離運転手なので週に一回帰ってくるかという生活の為、中一からお弁当洗濯掃除としながら学校に通っていました。
ちなみに私は不幸でしょ?と言ってる訳ではないですよ?もっと壮絶な方はたくさんおられると思いますし、なんだそれぐらいって感じる方もおられると思います。
今はただ書き綴っておこうと書いてる次第です。
とりあえず社会に出た頃、私は一人暮らしを始めたのですが父親も一人で済むなら家を借りてくれと言うので二件探して私名義で借りました。【これが大失敗】
家賃は一切払わず私が二件分の家賃を払わされ死ぬ思いをしました。払わないと自分の名前にキズも付いてしまい、将来が不安になるので必死でした。
その後、親父が倒れ私が介護するしかなくなりました。身内はいませんし、ほっておいて死んでしまうと罪に問われます。
憎くて仕方ない親父の介護。。これは辛かったですね。
そしてなんとか2年ほど経った頃に老人ホームに入居する事ができ、私は解放されました。
その後すぐに容体が変わり現在病院に入院しております。一応面倒はまた見ることになってしまったのですが病院にいるため、入院費を払うぐらいですww
しんどー!!
そして今です。
殴り書き文書ですが読んで下さりありがとうございます😊
ただなんとなく吐き出して置きたいと思ったので書いたまでです。
以上、お金のありがたみを教えてくれた親父が旅立とうとしてる時に思った最終的な
私の心の声でした。