私は牛糞の香り漂う田園地帯で暮らしている。
私が住んでいる集落から少し離れた場所には、最近テレビで見るようなポツンと一軒家がある。
その家には、13年ほど前から腰が90度曲がったおばあちゃんが、美しい顔立ちの娘さんと移り住んでいることは知っていた。
おじいちゃんもいたようだが、一度も顔を見たことがない。去年亡くなったと聞いている。
しかし、まったくと言っていいほど近所付き合いや地域の活動をしないご家庭で、小さな集落では噂がうわさを呼び、変わり者の家と評されてしまうほど。
娘さんは、原付バイクしか運転できないらしく、時々バイクで食料品を買ってきて、買い物袋を窓からおばあちゃんに渡しているところを時々見かけていた。
今日はめずらしく仕事がオフだったので、庭に出て、愛犬タチコマと遊びながら芝生に水をやっていると、腰が曲がったままのおばあちゃんが、家の前の私道をゆっくり歩いていた。
ずいぶん昔に買ったようなデザインの黒いパンプスを履いて、カツカツと音を立てながら、それはそれは歩きにくそうだ。
「変わり者」 と聞いていて、少し戸惑ったけれど、腰を曲げたり伸ばしたりしながら少しずつしか進めないおばあちゃんを見て、ふと、仮想通貨ボランティア「crypvo活動」が頭をよぎった。
私にできる、小さなcrypvo?
「こんにちは!どこまで行くんですか?バス停まで送りましょうか?」
他人に声をかけるなんて、そうそうないので緊張した。
「いえいえ、いいんです。郵便局までいつもこうやって行ってますから。」
しかし、バス停までは私の足で歩いて10分ほどかかる。
「送っていきますよ!」
「いやいや、本当にいいんです。」
そういっておばあちゃんは歩いていく。
しかし、時々よっこらしょと腰を上げて一息つく姿はとても苦しそう。
今まで、全く話もしたことはなかったけれど、腰が曲がったままではバス停まで30分くらいかかりそうなので、少し勇気をもって行動することにした。
私は車をおばあちゃんの前に停めて、後部座席のドアを開けてみた。
「どうぞ!私もイオンまでお買い物に行くので、ついでに乗ってください。」
「そうなんですか?いいんですか?いや~~~。 本当に助かります。」
申し訳なさそうにしながらも、おばあちゃんは後部座席にゆっくりと乗りかけた。
だが、車高がありすぎたのか、なかなかおばあちゃんは座れない。
ステップ台でも積んでおけばよかった。
歳を取ると、車に座ることも、普通のペースで、しかも無痛で歩くこともできないんだ。
私は、おばあちゃんを抱えて乗せた後、ドアをゆっくりと閉めた。
普段よりもゆっくりとカーブを曲がり、制限速度以下で緩やかに運転した。
いつもなら走馬灯のような景色が、今日は額縁に飾っている田舎の風景画のよう。
「ちょっと早く着いてしまいましたね。郵便局が開くまであと30分、まだ少し暑いので車に乗って待ってましょう。」
「いや~~~。いいんですか?ありがとうございます。時間はいいんですか?」
「はい!お買い物に行く予定だったのでいいんですよ♪」
本当はついでなんかじゃない。
おばあちゃんは本当に近所で噂されるほどの変わり者なのか、話を聞いてみようとおもっていた。
「おばあちゃんは、この土地に住んで長いんですか?」
知っていることをわざわざ聞いてみる。
「13年になりますね。以前は四日市に住んでいたんです。」
「ご主人は去年お亡くなりになったとお聞きしました。」
「そうなんです。朝ご飯を食べて話した後、椅子に座っていたので、呼んだら答えなかったんですね。 ゆすったら、もう死んでいました。82歳だったんですね。」
「そんな。。。死因はわからないんですか?」
「わからなかったんですね。そのまま元気なまま、逝ってしまいました。」
おばあちゃんの顔は微笑んでいるのに、バッグを握りしめる手は泣いている。
「そうだったんですね。。急にお亡くなりになって、それはつらいですよね。」
「さみしいですね。ふと帰ってきてくれるんじゃないかと、思うときがよくあるんですね。」
誰かに話したかった。肉親以外の誰かに。そんな声も同時に聞こえてきた。
「主人は酒癖が悪くて、人見知りだったので仕事を退職したらあまり人と関わらなくてもすむ場所に住みたいといって、この土地に住んだんですね。仕事は大工でした。
主人の酒癖については、私の母から言わせると、
『連れ添うということは、お酒があろうとなかろうと、互いに何かの癖があるものだ。女癖、喧嘩癖、それぞれ悩みながら一緒に添い遂げるもの。』
というので、52年も一緒にいたんですね。
主人はお酒に飲まれていたけれど、きちんと仕事をしてくれたし、お金はちゃんとポケットにいれてボタンを閉めて大事に持って帰ってきてくれた。
若い後輩には、自分が夕食を食べずに、気前よく飲ませてあげていた。
よく、家族が亡くなったという話は人から聞くんですが、残された人の気持ちは、経験しないとわからないんです。これは本当に、残された人にしか感じられないんですよ。」
一生懸命ご主人のことを話すおばあちゃんの声を聞いていると、だんだん、目の前の景色がゆらゆらと揺れて見える。
私は、とっさに娘さんの話に切り替えた。
「そういえば、娘さん、とても美しい方ですね!」
「^^。ありがとうございます。主人の親戚は皆、美男美女だったんです。そしてとても頭がよくて学校でも1番だったそうです。主人はそうでもなかったですけど^^。」
おばあちゃんの笑顔はかわいらしい。
そう言っている間に朝9時になり、郵便局が開いたので、後部座席のドアを開けておばあちゃんを降ろし、郵便局に案内した。
「えっと、何の用事ですか?振込とか、郵便とか。」
「姉が、年金が足りないから1万円貸してというので、送るんですね。現金書留を用意してきました。今まで何度も送ってますけど、返さなくていいとお手紙を入れてるんですよ。うちもお金はないけれど、これくらいはしないとね。主人はもっと人のためにしていたから。」
みんながいう「変わり者」の真の姿は、ただただ夫の精神を純粋に愛するすずらんのような女性だった。
おばあちゃんを家に送り届けると、庭の木から鳩がこちらをじっと見つめている。
気のせいなのはわかっているけれど、どうしても鳩とおじいちゃんの姿がかさなる。
おばあちゃんが愛しているおじいちゃんは、まだ確かにここにいて、おばあちゃんと暮らしている。
おばあちゃんの魂と一緒に昇りたくて、でも、今はおばあちゃんを見守りたくて。
(もう少しだけの間、妻のこと、助けてくれませんか)
時空を超えた、言葉ではないおじいちゃんの声が聞こえた気がした。