もずく・Ð・図解屋です。
アリスマンさんの記事に便乗します:)
誰が「いいね」を押したかを可視化すべき…というアリスマンさんのご意見、ごもっともだと思います。
私も賛同します。
でも、もしかしたら私、以前はDiscordでは「いいね」の可視化に反対していたかもしれません。
当初の私のALISへの期待は、かつて“plag”というソーシャルメディアが目指した「情報そのものが評価される世界」の実現だったので。
plagというのはsolaの前身で、情報の中身と発信者とを切り離し、フォローという概念もなく、とめどなく流れてくる情報を拡散するか否かスワイプで決めていく…という非常にシンプルで洗練されたアイデアでした。
フォローなし・いいねなし・匿名RTのみのTwitterみたいなものですね。
そうすることで、誰が発信したか…ではなく、情報そのものに価値があるか…で情報が評価される世界です。
ちなみにsolaとplagは、ALISではMiyakoさんのイラストで知られているかもしれないですね。
ALISが可視化しようとする信頼は、従来のソーシャルメディアのインフルエンサーの顕在化と何が違うのか。
インフルエンサーになる人たちは確かに諸々の努力や才能が必要だけれども、それは従来のSNSでもできていたことなわけで。
ならばALISの目指すべきは、“発信された情報のみ”によって蓄積される信頼度ではないか…
という考えもできます。
誰が「いいね」したのか可視化されるということは、ALISで影響力のある人たちが誰に「いいね」しているのかが見える…ということです。
そうすると、記事の投稿者だけをみて「いいね」を押せば効率よくALISトークンが稼げる…というのと同じ抜け穴が、記事の評価でも利用できるようになります。
つまり、アリスマンさんが「いいね」した記事は他のユーザもみんな「いいね」するだろう…という思惑が有効に働く可能性がありうるということです。
匿名の部分を減らすほど、この「情報発信者で判断する」という流れは加速していくと思われます。
「いいね」の可視化にデメリットがあるとすれば、そこかもしれません。
ただし、いまの私は「ALISの目指すべきは“発信された情報のみ”によって蓄積される信頼度の可視化」とは思っていません。
ALISが実際にローンチされて、コミュニティに支えられている様子をみて、「ああ、ALISの目指すものはplagではなく、一見さんお断りのお店みたいなものなのかな」と思い始めました。
ローテクというか、昔に逆戻りしたような感じではありますが、私が信頼している人が信頼している人は、私にとっても信頼できる人なわけで。
そうした信頼の伝播をグラフ理論などによってロジカルに可視化する。
それもまた面白いなと思います。
最後に、きぃ。さんが本質的だなと私が思うことを呟いてました。
そうなんですよね、ALISには「拡散」のほうが合っているのかもしれない。
Twitterが「いいね」の廃止を検討していると話題になっていますが、それができるのはRTがあるからなんだと思います。
Twitterの最大の発明は「拡散」という概念だと思います(Twitter以前からあったらごめんなさい〕。
ブログで拡散といえば、Tumblrというサービスがありますね。
なかなか良いサービスだと思うのですが、一斉を風靡するような状態にはなっていません。
ALISが「いいね」の代わりに「拡散」を取り入れても、それだけではTumblrの二の舞かもしれませんね。
TumblrになくてALISにあるものは、ALISトークンと信頼スコア。
その使い方が鍵になると思っています。
この話は「ALISトークンをユーティリティトークンにせよ」に緩く続きます。