掛け算の順番について、数ヶ月に一度はTwitter上で物議が醸されるのに未だ納得できる回答を見たことがないもずくです。
先ほども以下のツイートが500RTくらいになっているのを見かけて、もうこの問題を取り扱うだけのTwitterアカウントを使ったほうがフォロワー増えるんじゃないかと思ったり…
で、このリプの中に「交換法則(a×b=b×a)」に触れて、だから(算数の範囲では)乗算の左右を換えても問題ないはずだ…というものがありました。
私もその考えに賛成です。
それに対して、Googleで結構上位にヒットするのがこのブログ↓
ブログの内容に対する反論をがんばってコメントに書いたのですが、どうも「許可されないとコメントが掲載されない」タイプのブログらしく、ならば…と久々にALISの筆を取りました。
で、このブログの主張はですね、
・乗算の交換法則は常に成り立つものではない(算数の範囲では成り立つ)
・将来、交換法則が成り立たないことに出くわしたらとんでもない間違いをして子どもたちの学習の妨げになる
という感じで(意訳です)、本当に大事なことは次の3点だというものです。
1. 国語で表された文章などから事象を読み取り数式など数学的な表現に変換でき、どう変換したか説明できること
2. 数式など数学的に表現された事象を正しく処理(計算)できること
3. 処理された(計算した)結果を正しく言葉(国語)として表現できること
算数の領域はこのうちの2のみ。1と3は国語力の問題です。
つまり、算数は国語の文章読み取りの評価も兼ねているので、掛け算の順番が大事だ…という論理です。
(時間がないので、コメントとして書いたものをそのままコピペしています)
この問題が定期的に再燃する理由は、「国語→算数の読み取りの法則が一意に決められていない」からではないでしょうか。
例えば、「あめが10こありました。あめ1こあたりのおもさは6グラムです。ぜんぶのおもさはなんグラムでしょうか?」という日本文に対して、
・6グラムのあめが10こある(6×10)
と読み取っても、
・10このあめが6グラムずつある(10×6)
と読み取っても日本語の読み取りとしては間違いではないはずです。
国語的には後者のように読み取れたとしても、算数的にはあくまで6×10が正解だとするなら、それはもう文章の読み取りの問題ではなく「どちらを掛ける側に置くか」という算数固有のルールであるように思います。
その場合、単位として「グラム」と「個」ならば「個」のほうが“掛ける側”である…といったような理屈があるかと思いますが、そういったルールが全単位の組み合わせについて算数では決められているのでしょうか。
「個」と「人」なら「人」?
「匹」と「頭」なら?
ごく一部の単位の例だけが算数の教科書に掲載されているだけの状態で「掛ける単位と掛けられる単位というのが単位の相対的関係として存在する」ということを中途半端に教えるほうが、将来に渡って子どもたちに混乱を与えるように思えてなりません。
それに、「10匹の猿がトカゲを2匹ずつ持っている」といったように単位が同じ場合はどうするのでしょう。
この場合は、行為や所有の主体といった話が出てくるのでしょうか。
持っている方が「行為の主体」だから「掛ける側」に置く?
では、トカゲが猿に掴まっているのだとしたら?
「猿がトカゲを(意図的に)ぶら下げている」と脳内変換して猿を行為の主体にするのでしょうか。猿が(勝手に掴まっている)トカゲを所有していると脳内変換するのでしょうか。
掛け算を「文章の読み取り」として考えるというのは、こういう問題に踏み込むということだと思います。
ちなみに、「10このあめが10グラムずつ」だったときは「10×10」となってしまって問題文が正しく読み取れているかどうか判断できないので算数の世界では「問題として不適切」とされて一切出題されないのでしょうか。
こういう固定概念的あるいは個人によって認識に差のある部分をすべて除外して論理的に考えられるところに算数・数学の長所があると思うんですけれどもね…