ディープフェイクというのは簡単に言ってしまえば高度な顔の差し替えの事で、有名どころだとポルノ動画とかで利用されているのが問題になったりする技術である。
ここで一つ、自分の中で疑問が湧いた。
このディープフェイクで顔を差し替えた人間は、一体誰なのだろうか?
例えば、この技術によって顔を差し替えた場合、
顔を差し変える前のモデルといえる人間A
そして顔のモデルである人間B
さらに当人達以外で顔を差し替えたことを知っている人間C
全く何も知らずに動画などを見る人間D
大別するとこの四種類の人間が世界には存在している。彼らにとって、そのディープフェイクの動画はそれぞれ異なる意味を持つ。
AとBにとっては、この人間は決して「自分ではありえない」。顔が持つアイデンティティーはとても強いものがあるがゆえに、Aは動画を自分と認識することは難しい。同時にBには、そもそもその動画を撮られたという経験がない以上、いくら顔が同じでもそれを自分と認めることは非常に難しいだろう。一方でこれが他の誰であるかを特定するのは至難の業だ。なぜなら、自分の顔だから。これはお酒で記憶が飛んでた時の行動を受け入れられないのと似ている気がする。
では、CとDは?
まずDであるが、おそらくその動画に映った人間をひとまずはBとして認識するだろう。なぜなら、ディープフェイク、と言われない限り、あるいはその当人をよく知らないとかでない限りは、その点を区別する理由が全くない。逆にCは、知っているからこそその点にこだわるようになる。さらに撮影者などのさらに近い人間であった場合はさらに顔よりも「場や経験を共有した相手」として対象を認識するであろう。顔を上回るアイデンティティーを見出すことで、Cはその人間をAと認識するのである。
こうして書き出してみると、これがこの技術のとても厄介なところではないだろうか。誰もが、ディープフェイクに対して違う人間を描くのである。同時に、彼らが誰かを考えることは、自分のアイデンティティーについて考える一つのヒントにもなりそうだ。