前に書いた記事に加えてもう一つ。
最近はあまり仮想通貨の値上がり、値下がりを気にしないようにしています。
とはいえ、たまにチャートを見たりするのですがw
ビットコインが日本円やドルに対していくらになった、というのは価値をその比較対象の貨幣に依存しているということですよね。
自立した貨幣として重要なのは、結局そのビットコインで何を買えるか、何と交換できるかであって。
例えば1BTCでAというクルマが買えるとして、4/1には1BTC=40万円で、4/10には1BTC=600万円でも、ビットコインでは4/1でも4/10でもAというクルマを1BTCで買えれば良いわけで。
現に仮想通貨でなくても、他国通貨だってそうです。
アフリカの某国の通貨がハイパーインフレで紙屑同然になっても、「大変だねえ」とぐらいしか思わないのは自分の購買力が変わらないからです。
もう一つ。
仮想通貨は発行枚数が決まってるんですよね。
だから先行者有利。マイニングした人が有利。
後から来た人は僅かなコインしか得られません。
現行紙幣ならじゃんじゃん刷れますけど、仮想通貨はそうはいきません。
今までの貨幣経済と同じく持つ者、溜め込む者が強いとなると、黒い欲望で先にマイニングした人たちが利益を得ることになります。
それでは、マイニングしまくった覇権主義国家やアングラなマフィアが主導権が幅を利かすということになるのかな。
また、限られた仮想通貨を奪い合うことになるかもしれません。
そうなると今の貨幣経済よりもディストピアになってしまうでしょう。
それを防ぐにはどうするか。
今までの貨幣経済とは価値観を真逆に変える必要があるのではないかと思います。
これまでのような「持つこと、溜め込むこと」から「与えること、循環させること」への転回。
コペルニクス的転回とも言うのでしょうか。
「何を買ったか、持っているか」ではなく、「何を与えたか、貢献したか」が評価される世界。
評価の対価は何だっていい訳で。ふるさと納税の返礼品のように、拠出される側が決めれば良いのです。
それこそNFTのバッジなどで良いでしょう。
例えば…
黒電話さんが100万BTCを持っていたとします。これをとあるコミュニティに拠出します。
すると、
「黒電話さん、100万BTC拠出ありがとうございます。お返しとして、NFTのアイコン差し上げます。こちらALISで有名なよし○さんのアイコンです。」
そして黒電話さんに、NFTのよ○だアイコンが渡される。
コミュニティもBTC貰って喜ぶ、黒電話さんもNFTのアイコン貰って喜ぶ、というwin-winな関係が出来上がるという訳です。
拠出された100万BTCはどんどんコミュニティの中で循環させていく。それは溜め込むことがえらいと言う今の経済よりも活気ある経済となるでしょう。
ともかく、仮想通貨を使う段にあたっては、いろいろ価値観の転換を行う必要があるのではないでしょうか。
ここらへんの話は私のような金融オンチではなく、もっと詳しい人が考えたら面白いことになるのではないかと思います。