食べる宝石、一粒1000円のイチゴご存知ですか?
宮城県山元町にある農業法人GRAさんが作っているブランドイチゴです。
東日本大震災の翌年2012年に誕生したこのブランドイチゴは、ある意味震災が無ければ誕生しなかった希望のイチゴなんです。
誕生のきっかけとなったのは代表の岩佐大輝(ひろき)さんの地元だったこと、イチゴ農家の9割が壊滅状態になり、IT企業の経営者でもあった岩佐さんに地元の方が泥かきや瓦礫撤去もいいけど経営者の力で雇用を何とかして欲しいという切なる願いに、それまで培って来た技術と復興への思いを全精力を傾けて作り出したのが始まりでした。
その復興への思いミガキイチゴが誕生した経緯が一冊の本になっています。
ぜひ読んでいただきたい!
まさに畑違いのイチゴを栽培し販売するまで、震災でダメになった畑をいかに有効活用し水の問題、品質管理、農業の今までの常識を疑い次々とクリアしていく物語は経営をこれから目指す方はもちろん、これから仕事に目的を見つけられない方にも読んでほしい、課題や障壁、困難を逆にチャンスと見てブランドイチゴを作り上げるまでのスピード感、三越伊勢丹がブランドイチゴとして販売が決定する場面は胸が熱くなります。
この塩害でダメになった土地にイチゴを栽培させることに成功したことでビジネスモデルとしてインドでミガキイチゴの生産に着手、見事に成功させ国内でも農業をやりたいという異業種の方にも就農出来るように支援事業も手がけています。
私がこの愛してやまないミガキイチゴを知ったきっかけはインバウンド向けの記事の取材の時でした。その記事はこちら→
恥ずかしい話、全くその存在を知らず、ワクワクしながら行った先で聞いたお話は想像というか規模をはるかに超えていました。詳しくは記事にあるのですがとにかく日本国内での争いではなく日本ブランドとして売り出そうという視点、そのためにはイノベーションを起こす環境を社内に築きPDCAの高速回転で結果を導き出す。それでも収穫までの期間はどうしてもかかってしまうため一つの農家では限界がある。そこで海外国内でも一緒に生産してくれる企業さんを募り一緒に生産することでPDCAをたくさん起こし精度の高いミガキイチゴを作り出し世界に販売しようという。
こうした取り組みで震災以降大幅に人口が減った山元町に年間1万人の人口交流が生まれ年を重ねるごとに美味しさは磨かれミガキイチゴはどんどん有名になっていく。
岩佐さんは同時に働き方にも時間の使い方にも常に実践し人に勧めている。私も写真を撮りになんどもお邪魔しては撮影することで色々なご縁をいただき感謝している。
山元町は海に面していてサーフィンやSUPにとても適している。
旅するように暮らそう。岩佐大輝.COMにもあるようにこれからの働き方、生き方を自ら実践し仕組みを作り続ける岩佐さんとGRAのスタッフ皆さんを応援し続けます。
マスコミの伝える将来の不安や少子化による問題AIによる労働の課題などはGRAさんを見ているとこれからの若い人会社のあり方に一石を投じ明るい希望と夢を持てる。
これからもまた撮り続ける伝え続けようと思います。
伝えるフォトグラファー
沼田孝彦
1971年宮城県出身
写真の世界にデジタル黎明期に目覚め、以降ライブ撮影雑誌広告結婚式と数多くこなす。主に人物撮影を得意とし最近はドローンの撮影、動画にも意欲的にトライしている。ビックママスタジオ 経営、アラバキロックフェス公式カメラマン。取材や面白いことを知ると中二病がすぐに発症するアラフィフです。