父が他界した。
正直生きている間は大きな溝がお互いの意識の中に存在していた。
経営している会社が大変な状況で、色々な人に迷惑をかけていて
不謹慎な話、早く死んで欲しいとまでどこかで思っていた。
夫婦喧嘩の絶えない家庭で母の味方をしていた。
原因は父の浮気にあったからだ。
頭ごなしに話しかけてくる父に単純に反発していたし頑固で人の意見をまったく受け入れない父が疎ましかった。
そんな父が死んだ。
不思議だったのが父の会社の荷物を整理していた時に出てきたアルバムだった。
とにかく写真を多く残してくれていた父は自分の体調が優れなかったり、死をどこかで意識していたのか、あとで母に聞いたのだけど70歳まで生きられるか心配だ、と漏らしていたようだ。実際69歳で心不全で亡くなった。そんな意識がアルバムの整理に至ったのだろうか。
そこには父の若い頃と、私の兄弟が生まれた頃、成人した後30歳くらいの私が大笑いしている写真があった。父の青春時代と私がその父の青春時代の年齢を超えている写真が一緒のアルバムに収まっている、不思議な感覚が襲ってきた。それと同時に私の存在はこの両親がいなければ無かったんだと。
急な通夜となり何を話そうか考えているうちに昔の父との思い出を振り返る。小学校の頃、父が出張で家族で見送りに行った時のことだ。いよいよ電車が出るというその時私は一人大泣きしてそれを見た父が顔を伏せながら電車が去っていくシーンを思い出した。
そうだ、俺は誰よりも父が好きだったんだ。浮気をして母が憔悴してる姿を見て物心のついていた自分はその分誰よりも憎むことになったけど、そうだ、俺は親父のことがとてつもなく好きだったじゃないかって。
整理していたアルバムにあった俺の大笑いしている写真。なんでそれをチョイスしたのか。
ある時一番の大げんかをした時に親父は小さな声でお前を誰より愛してるんだって言ったことがあった。あまりの突拍子の無い発言にどっちらけになったけど、あの言葉はどこかでずっと心に引っかかってた。
そんな思いも言葉も、写真を多く残しアルバムを整理していった写真、それがなければこの思い出もどこまで思い返せたか。
写真家としての使命を感じている
写真を残す意味。
家族の写真を撮り終わってから必ず親御さんに伝えていることがある。
きっとこの子たちが大きくなった時沢山の写真が愛情をたっぷり残していってくれたんだと感じる日がきっと来ますと。
沼田孝彦
写真家
仙台市在住、1971年生まれ