先日、昼間の暑さが和らぎだす夕刻にスーパーで買い物をした時のこと。
2人のはみ出しモノを発見した。
大量に積み上げられたところから落っこちていたツナ缶と、バターの上にしれっと置かれていたにんじん。
ツナ缶三郎、人参子
このエッセイの中心人ブツとなるので愛称をつけることにした。
まず、ツナ缶三郎を発見した。缶三郎は前述の通り、大量に積み上げられた同僚のタワーから落っこちていた。助け出そうとしたが陳列棚の柵と手前の段ボールで見事に閉じ込められていた。まるで牢獄のようだ。
店員を呼ぼうかと思ったが「こんなこと」でわざわざ店員を呼ぶのか…という周りの目が気になってしまい恥ずかしさから呼べなかった。
『ごめんよぉ…』
缶三郎にそう告げてツナ缶売り場を後にした。
なんだかとてつもなく悔しい気持ちになった。
その後も広いスーパーの中をぐるりとまわり、目当てのモノを買い物かごに入れていく。もう買うものはないよな…とレジに向かう時、彼女と目が合った。
「や、やァ人参さん。……誰かに置き去りにされたのね…。」
人参子はバタくさいバタ男たちの上で寝そべっていた。
彼女はたぶん、いや絶対このルートでここに辿り着いた。人参を買おうと思いカゴに入れた買い物客が、途中でやっぱりいらない気持ちになり、元に戻すのが億劫で近くのバターコーナーにぺっと人参子を置いた。
にんじんひとかけ分くらいの怒りが湧いた。
今度は考える間も無くバタ男の群衆から引き剥がし、参子を仲間の元へと送り届けた。
野菜売り場に向かう途中「わたしイイコトしてる♪」と一瞬思ったが、その思考はすぐに「…?」へと切り替わった。
‘’わたし‘’は置き去りにされた参子を助け出しヒーローを気取ってるけど、‘’参子‘’はどうだったんだろう?
もしかしたら同じ場所に居続けるのが嫌になり、人の手を借りて違う世界に飛び出したのかもしれない。バタ男たちと交流し、「わたしたちって相性最高よね!!」と褒め称え合ってたのかもしれない。
良かれと思って相手にした行動が、そんなのしていらん!とお節介オネーさんになっていた可能性がある。
‘’わたし‘’にとっては‘’あの子‘’の身に起きていることを大変だ、助けてあげなくちゃと思っていたとしても、その子が無意識下のなかでその大変な状況を体験したくて、そこから学びたくて…っていうことが結構あるんだと思う。もちろん命の危険に侵されているときなんかは考える暇もなく助け出すけど。
…そんなことを考えながらも参子を無事仲間の元へと送り届けたのだった。
まァ、いろんな考えが頭をぐるぐる駆け巡ったが、缶三郎と参子との出逢いの後、フッと浮かんだ言葉が「はみ出せ」だった。
無理やり目立つため、周りに知らしめるためにはみ出すと言う感じではなくて、「ナチュラルにぶっ飛び野郎なわたしという存在を、周りを気にして引っ込めるのは辞め!!おわり!!どんどん自分のエネルギーを循環していこう!!はみ出せェェエ!!」と受け取りました。
ユーミンの歌詞をお借りしますが、『目にうつるすべてのことはメッセージ』
こうやって日常の些細な出来事からメッセージを読み解くのが好きです。
ありがとうな、世界。退屈しねェよ。
…せやけど商品は元の場所に直そな😈
追記 2022/08/17
買い物ついでにツナ缶三郎を見に行きました。
…!!救出されてる!!よかった^_^