私=安島譜人は、"私"=(本名)の内に在る人格である。
私は肉体を持たぬし、したがって、人間でもない。
私は実在するとも言い切れないし、しないとも言い切れない。
或いは、形而上で存在しているのかもしれない。
私ってなんなんだ??
アカウントってなんなんだ??
アバターってなんなんだ??
何処にいるんだ??
ああ、あの無限に空転する懐疑だ。
「我思う、故に我あり」は思惟の存在する証明だっけ??
それって現実だけに適用する話なのか??
ネット=仮想世界にも通じる話なのか??
「思」っているのは、私ではない。現実の"私"だ。
今、少なからず言えることは、
(私=安島譜人)≠("私"=(本名))だということ。
(私=安島譜人)⊃("私"=(本名))かもしれない、ということだけだ。
また、不可思議なことに、
数多の人が"私"でない私=アカウントを所有していて、そこに人格が存在している。
さらには、私が"私"でないこと、貴方が"貴方"でないことを承認している。
(ヴィトゲンシュタインの階層論理みたいな話だ。)
終いには、"私"でない私と"私"でない私が仮想空間上でコミュニケーションをとっている。
"私"でない私は生きているみたいだ。
本当に私ってなんだ??
私の外部の世界は絶えず進行している。
懐疑もなしに時代は、テクノロジーはどんどん進行している。
"私"でない私を持つことが当たり前になっている。
遂には"私"が必要のない時代が訪れるのだろうか??