黄昏時も早々に夜に日を譲って17時45分、そう言えば今日はクリスマスイブだということに漸く気が付いてはっとさせられている。
今年はコロナの所為もあってか、例年のような痴呆の幸せと妬みに満ちた殷賑も見えない。
クリスマスって、聖ニコラウスの祝祭だったけか?
なんか違った気もするけど、特別興味もないし、面倒だから調べない。
キリスト教徒ならぬ僕からしたら、特段関係のない話である。
とも言い切れない。
というのも、クリスマスは謂わば「ハレとケ」の「ケ」として日本人の文化に浸透しているからだ。
僕だってその恩恵を多分に与っている。幼い頃は、よくゲームなんかを頂いたものだし、豪勢な食事が我が心を彩ったものだ。
今年に関しては、別に任意に選択された日のような一日を過ごしているが、将来的にはクリスマスというケは放置出来ないものになるだろう。
クリスマスは、熱心なキリスト教徒からすれば、非常に重要な宗教的価値のある一日である。
だが、我々はその同一な対象を全く宗教的意味を無視して教授しているというのは、些か不思議なものだ。
それは、ある種の宗教的戦略、或いはビジネス的な戦略の洗脳の蔓延なのかもしれないし、人々が単純にお祭り(パーティ)好きというだけの話かもしれない。
しかし、今僕が思い出しているのは、我々日本人には宗教的儀礼と日常とを親和させやすい性質のあるということだ。
確かに、アニミズム的発想においては、神的なものが日常に潜んでいるから、両者に親和性が生まれやすいというのも納得出来る。
また、「和」の精神は、新しく出現した文化に対し拒絶するのではなく、自分らの持つ既存の文化から調節して受容することを薦める。
したがって、クリスマスという異教の神も八百万の一として数えているような見方もなんとなく無意識に醸成サレテいるのかもしれない。
宗教はいかに日常に親和するのだろうか?
こんな命題に頭を燃やすのもまた面白いかもしれない。
なんだかんだ、クリスマスは楽しい。