「ワインゼリーのワインって本当にワインなのかな?」
「小学生にワインはだめだろ」
「でもワインじゃないのにワインを名乗るか……?」
そちらの小学校のデザート枠は何だっただろうか。こちらの主なデザートは
☆にんじんゼリー
☆☆ワインゼリー
☆☆☆お米のムース
だった。ワインゼリーが実際何なのかは今も分からない。というか分からない状態でいるほうが楽しいので意図的に追求を避けている。あの意味の分からない犯罪の香りが一部の生徒を惹きつけたからだ。見栄も何もただ美味しい甘味がほしい人間は当然お米のムース一択だ。
だがしかし、お米のムースこそ何なんだ。お米の味はしない。そもそもお米の味ってなんだ。何が入っているのか、どの辺がムースなのか?今となっては大体の予想もつかない。米粉を使ったパンだとか、たい焼きだとかが流行るのは15年ほど後の話だ。先取りが過ぎている。後に海外の「ライスプディング」という文化を知った時は強いカルチャーショックを受け「なんだそれ」と思ったものだが。一体どの口が言ってるんだろう、6年間食べてたはずだ。
給食の時間は最も自由な時間だった。看守も自分の昼食をノールックで平らげることなどできやしない。
貨幣をでっち上げたビックボス軍の【セルゲーム】は内輪から教室全体に広がっていった。
今思えば軍内の流通はβテストのような役割だった。
肝心要は「おおいに楽しむこと」だった。それこそクラス中に知れ渡るほどに。
セルゲームのルールは
【参加者は通貨を好きなだけベットする】
【勝者には断る権利がある】
【勝者は額を問わず一番気に入った者と通貨の交換ができる】
というものだった。友情を選ぶもよし金銭を選ぶもよし。何にしても必ず意味が生まれる。
クラス運用がはじまると勝者が何者であろうと席に忍び寄り交渉を持ちかけるようになった。
例えばその隠密にワインゼリーを1枚で売ったとしよう。交渉成立を知らないものが後で「2枚あるけどどう?」と聞いて来るようなことが初期はよくあった。「もう渡してしまった」と答えながら勝者は物の価値を理解していく。獲得しそこねた物はより早く勝者を迎えるようになる。
そうして通貨の市場価値は定まり、欲しいものは集って手持ちの資金と相談しながら競り争うようになった。交渉のスキルも大いに活躍した。
勝者でも人としての好感度が低いとゲームが始まらないことがある。賭ける枚数には各々が感じた魅力が現れる。それはデザートの種類だけでなく誰から買うかも重要だった。デザート一つに5枚という大金をつぎ込んだ奴がいたのだ。それはどう考えても割に合わない額だった。そのベットには「争奪ジャンケン」に対するファイトマネーの側面もあったのではないだろうか。「争奪ジャンケン」は原始の娯楽だ。良きチャレンジャーに良き配当を与えたくなるものがいてもおかしくはない。たとえ全てを断ったとしても執着心は満足感を増幅させる。
貨幣価値が安定した頃の基本的なレートはお米のムースひとつで3枚ほどだった。
お米のムースの実際の値段は120円
だが何もしなくても学校にさえ行けば食べれるものにその額を出すやつはいない。シャバでビックリマンチョコを2枚買ったほうがいい。そもそも二個目のデザートは無から生まれるものだ。そこを考慮すれば30円程度かもしれない。だが教室で味わう甘味の魅力には強い補正がかかる。よって60円ほどに定めておきたい。
クラス内通貨は1枚20円程度ということになる。
うまい棒を踏み倒してきた連中が手を引っ込めるのも納得の市場価値だ。
牛乳に蓋から始まった騒ぎもこのあたりまで来るとそろそろ看守は気付いてもいいとおもうのだが
『取り引きが同意の元で行われている』
『牛乳瓶の蓋で遊んでいるだけ』
『他愛ない子供のやることの範疇を逸脱しない』
というところを抑えていた為お咎めはなかった。
……しかし、もっと重大な理由があったのではないかと思えてならないのだ。
それこそ自分がいい歳になったから思うのだが、もしかすると先生は
『通貨の自然発生を見守っていたかったのではないか?』