最初はオセロだった。
ゲームセンターは当時不良の溜まり場と語り継がれ
子供のために開かれたはずのゲームコーナーさえ強い立ち入り規制がしかれていた。
ゲーム機体に寄れば密告されるそんな時代の話をする。
教室は娯楽に飢えていた。
バトエンがどれだけ犯罪的なものだったかは語るに及ばない。
ポケモンのバトル鉛筆はまさに必需品だった。
バトル鉛筆は単なる文房具。娯楽品ではない。合法的にポケモンを教室に持ち込むにはうってつけだった。
もちろん買うことも出来たが個体の強さがわからないものを買うのは悩ましかった。
数本パック売りというのも財布に痛い。無いよりはマシだが雑魚を持て余しても仕方がない。
何より親に下心が漏れる。親は文具代を出したつもりで財布を痛めているわけだし。
レアを手に入れた悪ガキは味をしめて有力な売り場やパックを仲間内の秘密にしていた。
それが余計羨望を集めた。情報を得られないものは何枚百円があっても無力だった。
小学校時代はいろんなジョブがあった。
わりかし文化レベルに富んでいた当クラスはギャグメーカーや画家、漫画家。暴君や策士なんかも悪巧みには欠かせない。
娯楽はなければ作ればいいのだ。(「ぼくのなつやすみ」の【大人のだめをどんどんやりましょう】はもう少し早めに知りたかった至言である)
そして情報屋がいた。掴まされることも当然ある訳だが、信用に足るかどうかは失敗を重ねる他ない。その部分も含めて健全な市場だったように思う。
一番の悩みの種は攻略情報だ。
我々はまだ攻略本に書かれたことを満足に吸収できるほど賢くなかったので実体験ほど貴重なものはなかった。
その情報の最たるものはポケモンのバグネタだった。これは何を捧げてでも知りたい情報で麻薬のような存在だった。
実態はガセのオンパレードだったが、それにつけても100レベルの裏技。ふしぎなあめの無限増殖、なぞのばしょ。
夢中になった時間だけ幸福が得られる。それはたとえ結果が得られなかったとしてもだ、あれは実にクセになるガセだった。
ろくなRPGも知らず足を踏み入れたポケモン第一世代だったが。
当時ゲームへの風当たりは強く誰もがプレイできるわけではなかった。
ポケモンはいわばドレスコード。知らずにコミュニティに入れば追い出されてしまう。
本体とハードを買えない人間にとってバトエンはいわばジェネリックポケモンだった。
バトエンさえあれば気まずさを味わう必要はない。
ちなみにジョブの中で最も豊かだったのはホビーコレクターだった。
彼らは必ず雑魚をダブらせていたし、いい顔をしておけばそれとなくおこぼれを貸して貰えた。
その結果出来るのはレアに倒されるザコトレーナーだったりしたが、利害は一致していた。お互いそこに不服はない。
しかしバトエンの流行りは円熟期を迎えること無く終焉を迎えることになる。
バトエンが持ち込み禁止にされたのだ。
こういう些細な娯楽は学校でなければ意味がない。
人の家に行くなら皆でスマブラをやるに決まっている。なんならポケモンスタジアムで本格バトルもできる。
性質上使えば使うほど文字が消えるためバトエンは鉛筆としての価値さえ無いのだ。年上の層はキン消しみたいなものだと思ってもらうといい。
今思えばバトル鉛筆は計算が必要なシステムで野放しにして損する遊びでもなかったはずだ。
きっとどこかで貸し借りの問題や強奪が起きたか、我々が楽しく遊ぶことをよく思わない連中が適当な理由をでっち上げたのだろう。
そんなことはしょっちゅうあることだった。
しかし文房具だからセーフが通らなくなったことは衝撃だった。
胸を張って楽しむことは困難なことだ。
なんにせよ次々増えるこういった制約が慢性的な耐え難い退屈を作っていた。
我々も小学校高学年。今更ごっこ遊びをする年でもない。
教室は娯楽に飢えていた。
それで、作られたのがオセロだった。