VTuberとは演者とファンの間に存在する仮想的なキャラクターであり、ほとんどの場合演者の存在は隠匿されている。その傾向は企業によって運営されているVTuberに顕著だ。演者の存在が隠匿されているということは、活躍したのはあくまでキャラクターでその成果は演者に結びつかない。したがって、VTuberが引退してしまえば演者はそれまで積み上げてきたものをすべてを手放すことになる―ように見える。
こういう事情があるので、「VTuberはキャリアにならない」と考える人がいてもおかしくはない。
しかし、それは本当だろうか?少し短絡的ではないか。「VTuberはキャリアにならない」が、「VTuberはキャリアに"なりえない"」という意味なのか、それとも「VTuberはキャリアに"なりにくい"」という意味なのかによって結論は変わってくるように思える。
VTuberとして活動して、何が積み上がっていくのかといえば「信用」だ。もちろん活動内容によっては信用は貯まらないし、実際に貯まっていないだろうなというVTuberもいる。
VTuberがキャリアとして機能するためには、活動で貯めた信用が演者に帰属する必要がある。演者が集めた信用を元手に別の活動を始められるようでないといけない。
それならばやるべきことは一つで、VTuberは演者の存在を一定以上世間に知らせておくことが必要だ。海月ねうさんでいうをとはさん、犬山たまきさんでいう佃煮のりおさんのような信用の保存先を用意する(犬山たまきさんの場合は継承というより共有かもしれない)。
ただし、「VTuber〇〇の運営」のように匿名では難しいかもしれない。匿名の運営は誰でもないから、誰でもない誰かに信用が引き継がれることはない。特定の誰かである必要がある。
冒頭で「なり"うる"」と歯切れ悪く言ったのは、演者の存在を確立させなければならないという条件があるせい。現状ほとんどのVTuberは演者を隠しているので、この方法が受け入れられるかは正直わからない。
結論はもう出てしまったのでここから僕の雑感なのだけど、VTuberの演者たちにとってVTuberの活動が大きなものになりすぎている、と感じる。
確かに、VTuberとして人気を獲得するためにはブラック労働は避けられない部分がある。Twitterは朝から晩まで動かし、ライブ配信や動画投稿を頻繁に行い、ファンボックスの更新をするその裏で生身の人間として自身の生活をしなければならない。しかもVTuberとしての活動はいくらでも大きくなる。
しかし、僕が思うに、VTuber(特に個人が運営するVTuber)の活動があまりに大きなものになってはいけない。引退した時に何も残らないようでは、VTuber活動はただの労働収入のための手段になってしまう。
だからVTuberは、活動の裏で演者個人として活動し、集めた信用を生かすため土壌作りのための余裕を確保しておかなければならないと思う。それが信用経済の時代である現代に合った生き方だとも。
「VTuberとしての活動」と「演者個人としての活動」を上手くマッチさせていくことがこれからのVTuberに求められるのではないか。特にVTuberを事業として考える人にとっては、その活動でいかにお金を稼ぐかだけでなく、集めた信用を無駄にしないためにどうすべきかということも重要だろう。