VTuberにおける差別化の要因には次の2つがあると思っている。「内容による差別化」と「演者による差別化」だ。
「内容による差別化」とは、ライブ配信・動画の内容を独自のものにして他との差別化を図ること。たとえば考察だとか、大喜利だとか、食虫植物だとか、とにかく「他の人がやっていないこと」をやる。
この方法には問題があって、それはすぐにコモディティ化する(他の人が同じことをやるようになり差別化できなくなる)ということ。特にゲームタイトルで差別化することは非常に難しい。
これは要するに「演者が違うならコンテンツとしても別々だよね」ということ。同じゲームをプレイするにしても、それをプレイするVTuberが違う人であればそれはもう異なるコンテンツとなる。
この方法では、人が違えば自動的に差別化されているので、差別化のための努力が必要ない。そして、コモディティ化が起こらない。やや極端なことを言えば、差別化は自動的にされるのでVTuberは何をやってもいいのだ。
「内容による差別化」は簡単に機能しなくなる。なので「演者による差別化」が重要になるわけだけど、それは自動的になされるものなのでVTuber自身が何をすれば良いのかわかりにくい。
ここで取るべき戦略は、「演者による差別化」を活かすことだ。
そのために重要なのは内容ではなく「視聴者との交流」にある。VTuberのコンテンツはVTuberが一方的に作って放送するものではなく、視聴者との相互作用によって作られる。
実際ほとんどのVTuberは、見るだけだったらできの悪いアニメーション作品に過ぎない。しかし、なぜ実際には魅力的なのかといえば、ファンと関係を結ぶことのできる生きた存在であるからこそだ。視聴者はVTuber自身のファンになるのであって、一連の面白い映像のファンになるわけではない。
VTuberは、やりたいことを思い切りやるのが本人にとってもファンにとっても良い選択肢だと思う。「内容で差別化しなければ」などと考える必要はない。充実した活動を送っているVTuber自身が求められているのだから。