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ALISはお金ではない
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2019/11/26 09:38
昨晩視聴した粘菌に関するドキュメンタリー番組。プラナリアも登場して面白かった。
粘菌研究者達の調査手法が興味深い。特に粘菌が学習を行うことを突き止めた実験が秀逸だった。プレパラートの先に粘菌の好物を置き、それと粘菌との間に塩水を散布する。粘菌は探索を開始するが、塩水を嫌うので、その歩行速度は通常よりも遅い。しかし最終的に粘菌は好物に到達できるため、やがて粘菌は塩水を恐れなくなる。
塩水を恐れなくなった時点で、「粘菌は学習を行えるということ」が判明するのであるが、実験はさらに続く。次に、塩水を恐れなくなった粘菌を、他の粘菌(塩水が安全であることを学習した粘菌と、もともとは同一個体だったもの)と融合させる。すると、他の粘菌も塩水を恐れなくなる。これは、最初の粘菌が学習した知識が、他の粘菌にも共有されたことを意味する。
粘菌が学習した知識がどこに保存されているのかを明らかにするために、次に研究者達は粘菌の管に注目する。管の中には原形質と呼ばれる液体が流れているのだが、塩水が安全であることを学習していない粘菌を用意し、この粘菌の管に研究者達は注射器で塩水を直接注入する。するとこの粘菌は塩水を恐れなくなる。管の中に塩を物質として保持した粘菌は、これにより塩水安全であることを「知った」「学習した」「知識として獲得した」といえそうである。
人間の脳に該当する箇所が粘菌には見当たらない。しかし、人間が「知性」や「知識」や「学習」と呼ぶものが、脳という臓器が見当たらない粘菌において十分に観察可能なのである。私には、粘菌自体が脳のような存在であるように見えた。脳とその他の部位という見方ではなく、身体・存在全体が脳という見方ができるように思えた。粘菌が、楕円状にゆっくりと繁殖していくその姿は、むきだしの神経細胞を彷彿とさせる。
番組では、粘菌だけでなく、トウモロコシ等の植物の根に「知性」を見出している研究者も登場した。根の先端は探索を行う。粘菌が、餌までの距離が最短になるように歩行して、管を形成するように、根の先端も何らかの合理的な思考法で動いているようだ(東京都内の各駅を示した地図を用意し、各駅の位置に餌を置き、東京駅の位置に置いた粘菌に、それぞれの餌まで管を最短距離で形成させる実験も面白かった。粘菌が形成した管のネットワークは、現在の首都圏の線路とほぼ一致した。つまり粘菌は、餌までの距離が最短になるように管を極めて合理的に形成したということである)。
だんだん、「知性」や「知識」や「学習」等の言葉と、「人間」という言葉の関係が怪しくなってくる。我々は「知性」や「知識」や「学習」といったものを「人間」やそれに準じる霊長類や哺乳類のような「高等な生物」だけが備えているものと捉えているが、「知性」の有無のみから考えると、粘菌等の生物も十分「人間」らしく思えてくる。
「生命の定義はいまだ満足になされていない」という、アニメ攻殻機動隊に登場する自称生命体(プロジェクト2501)の台詞が蘇る。「生命」だけでなく、「人間」という言葉の定義も怪しくなってくる。生命や人間の定義があやふやであることを反省して、逆に全ての存在に「生命」や「人間」としての位置付けを与えた場合、「人権」をそれらにも認める必要が出てくるので、非常に厄介だ。
というようなことを考えた。
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自称小説家。窓から知念半島を眺めながら、いつも文章を書いています。ペイントで雑な絵も描きます。