突然ですが皆さんは高次脳機能障害という言葉を聞いた事はありますでしょうか?高次脳機能障害とは脳卒中や事故などをきっかけとして脳の機能が著しく障害を受けることにより、さまざまな状態を引き起こすことを指します。自分の場合2歳の時に高所から落下し、くも膜下出血になった事がキッカケで高次脳機能障害になってしまいました。外科医師の先生方のおかげで一命を取り留めることができましたが、後遺症が残ってしまいました。事故してしばらくの間、視力の低下がみられたので大阪の高槻医大に通って視力検査を定期的に行っていました。当時は何でこんな事をしているのか分かりませんでしたが後に視力回復の為だと分かりました。定期的な視力検査に通うだけでなく日常生活の時は朝から夜になるまで、毎日アイパッチというシールで視力のいい方の目を隠して生活していました。苦労のかいあって保育所を卒業する頃には視力が回復してアイパッチを外す事が出来ました。保育所を卒業すると、当時楽しみにしていた小学校に通うことになりましたが、授業についていくのが大変でした。小学校1・2年の担任が今でいうパワハラ教師で頭や顎を大人の力で握られてすごく痛くて怖い思いをしたり、小学校のトイレで小便をしていたら横から覗き込んできて良いもん持ってるなあと言ってきたりしてきてすごく嫌な先生だったと記憶しています。高次脳機能障害の影響なのかどうか分かりませんが字があまり綺麗じゃなかったのかその先生からは花丸はおろか三重丸も貰った事がありません。酷い時は三角にされた時もありました。小学校三年になって担任の先生が優しい先生に代わりました。その先生が担任に代わってから担任が原因で嫌な思いをすることはなくなりました。しかし、同級生同士で嫌な気分になる事がありました。昼休みの時にキックベースボールをしていたのですが、休憩時間が過ぎているのに気付かずに自分の番が来たと思いボールを蹴ってしまいました。(何かに集中すると周りが見えなくなる傾向があるようです)蹴ったボールを学校の先生が取り上げて怒って持っていきました。その直後クラスのリーダー格の同級生にお前が悪いんやからお前が返してもらいに行けよと言われ何が何だかわからずキョトンとして、しばらく考えた後どういう事態なのかようやく飲み込みました。結局ボールを先生が何処にもっていったのかボールを持って行った先生が何処に行ったのか分からなかったのでボールを取り返さずに教室に戻ると僕の事で普段思っているうっぷんをみんなで言い合っていました。普段優しいと思っていた人まで一緒になって不満を口にしているのを聞いてとてもショックを受けたのを覚えています。小学校の3・4年の時プールで伝言ゲームをやったのですがどうしても覚えることが出来ず、ゲームは途中で中止になりました。僕があまりに覚えられないので仕方ありませんが、あまりに物覚えが悪いので2歳の時の事故が原因じゃないかと思い、それとなく記憶力が悪いのは事故が原因じゃないかと母に言いました。しかし母はあんたは障害者じゃないと言うだけで話はそこで打ち切られました。小学校を卒業し、中学校になると完全に勉強で置いてけぼりになりました。数学は
公式が覚えられないものが多く文章問題は完全にお手上げ状態に。それ以外の教科では暗記物は0点や2、3点ばかりでした。その点数の低さ虐めグループに目を付けられ中学生活は楽しくない事の方が多かったと記憶しています。中学時代の学校の成績があまりに悪いので家庭教師を付けてもらいましたが、勉強をやる気がなかったので成績にほとんど影響はありませんでした。中学を卒業後何処に行くのかという話を家族会議でした結果、父親の知人のコネでクボセラミック教会という男子禁制の組織に特別に入れて貰える事になりました。クボセラミック教会という組織はボーンチャイナという粘土を使ってお花や籠・人形を作って展示会に出したり売ったりする組織でした。しかし、自分はポケモンはすごく好きでしたが、粘土で花や人形を作ることにこれっぽっちも魅力を感じずむしろ不安でしかありませんでした。その不安からやる気がなくなりよく遅刻するようになりました。出勤した最後の日には「もう遅刻せずに来るかしばらく休むかどっちかし」「二つに一つやんか早く言いなさいよ」と言われ、しばらく休みますと答えました。するとクボセラミック教会の会長がカンカンに起こって怒って「ポケモンかボケもんか知らんけどずっと休んでたらいいは」と言い放たれクボセラミック教会の建物から追い出されるように出ていきました。その夜父に事の次第を説明すると今すぐあやまってこいと言われましたがどうしても戻りたくない所にひどい言い方をしたあやまりたくない人に頭を下げてまたクボセラミック教会に戻る気は全くなかったので気がめいって落ち込んでるふりをしてでも逆戻りを阻止しました。その後、母の知り合いで作業所を経営している人の所で働くことになりました。そこでは様々な障害を持っている人たちが働いていました。一見普通の人に見えて突然発作を起こす人・こだわりが強い人・一日中2階で寝ていて絶対に働かずに退勤のカードを