もう、紅葉どころか落葉って感じだが、京都の紅葉見に行ったときの話の続き。
2021年11月20日。
真如堂の次に向かったのは、法然院。
哲学の道辺りも結構人いた。
法然院に来たのは3回目だが、紅葉の時期は初めて。
参道にある、ガラス枯山水。
法然院のシンボル的な、山門。人が入らないように撮れず。
白砂壇(びゃくさだん)。
砂壇は水を表すそうで、その間を通るのは、身を清めるってことらしい。
季節によって絵柄違うようだ。落雁みたい。
ここは鎌倉時代、法然上人の草庵だったそうだが、その後事件に巻き込まれて、四国に流されたため、荒れ果て。その後江戸時代初期に知恩院の和尚の手により、再興。
お寺についてより、庭の印象が強いので、法然院についてはまるでわかってなかった。
可愛らしさがあちこちにある寺。
まだ見に行くのに間に合うところは、ということで、次に銀閣寺へ。
金閣寺とともに、相国寺の塔頭寺院のひとつ。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿が起源であり、義政の美意識の集大成だが、完成前に義政は亡くなったらしい。
高校時代の修学旅行以来。
こんなのあったっけ・・・・と思いながら入る。観光客も多かった。
向月台。
こんなインパクト強いのに、記憶になかった。
高さはどんどん高くなっていったそうで、今は180㎝。この上に座って月を見たっていうが、よじ登った?
砂についても書かれている記事があったので、興味のある方は↓。
東山文化の神髄、簡素枯淡の美を楽しむには、周りに人多い。意外と若い人が多かった。わかりやすい寺だからだろうか。
銀沙灘・向月台の起源はいつだからわからないが、安土桃山時代に始まった頃はそんなに大規模でなくて、江戸時代からどんどん大きくなったそう。
年に10回くらい直しているとあった。
東求堂。国宝。
造営当時の遺構。浄土信仰のシンボルとして作ったそうだが、多くの観光客は、あまり見てない感じだった。
観音殿。室町期の楼閣庭園建築。
庭が広いので、歩きながら色んな景色を楽しめる。
庭の奥の方から高いところに上がれる。
ちょうど日が落ちる頃だった。
自分が歩いている後ろで、結婚式場の値段は値切るほど下がるとか、新横浜の方が東京よりかなり安いとか、新横浜は新幹線止まるから、親戚も呼びやすいとか、
20代半ばくらいの男の子集団が話していた。スーツ着てたから、誰かの式の帰りか。
立ち止まって景色眺めてたら、ここからモミジと白い山茶花(さざんか)両方見れるのですよ、と、近くにいた、庭師?の人が突然教えてくれた。
久しぶりの銀閣寺は、庭もゆっくり回れて楽しめた。
銀閣寺のホームページに銀閣寺の歴史について書かれているのだが、それが読みやすく、激動の時代についても書かれていて面白い。
歴史、詳しくないので、本当かどうか、よく書いてあるのかどうかわからないが、義政って優しい、戦いや将軍って言葉が合わない人だったのだろうか?
「大文字の送り火」の始まりについても書かれている。
かなり簡単にまとめたものなのだろうが、なんか涙ぐむような話だった。