シロヘビ見てからやっとロープウェイ乗り場へ向かった。
雲行きが怪しい。
前の日もそうだった。午後2時くらいから、怪しげな灰色の空が広がってきて、空気は重く、何かを待っているよう。
ロープウェイ乗り場のところに、ちょっと気になる看板が出ていた。
運行中止についての。
え?と思い、そこの職員らしき人に聞いてみたら、雷雨になったら運行止めるということで、今日も来そうだなぁ、、、そろそろ、、、と言う。
あっち側が暗くなってきたらもう、来る、って。雷雨。
この時期はいつもそうだと。
えええ・・・止まったら、歩いて降りるのですか?と聞くと、
いや!(そんなことはさせませんよ!という感じで、)上から下へ、車使ってお客を下ろしますと。
まあ、さっさと行こう。
ロープウェイ乗り場もガラガラで、二人だけで上って行った。
頂上に到着すると、蛇や蜂がいそうな鬱蒼とした景色。
暑くて喉もカラカラ・・・下で飲み物買っておけばよかったねぇと言いつつ、しかし話すと更に喉乾く。あまりしゃべらずに、城を目指して10分くらい歩いた。
それっぽい石垣があって、多分、もともとの城はこっちにあったんじゃないかなーと思って折れ曲がると、
天守閣が見えた。
1608年に岩国初代領主、吉川広家(きっかわひろいえ)が8年かけて築城したのに、たった7年で壊す羽目になった岩国城。現存の天守閣は1962年に再建したもの。
吉川広家は、毛利元就の孫で、毛利輝元の補佐役だった人。
毛利輝元が関ケ原の戦いの時に、豊臣秀吉の家臣に、石田三成(西軍)の総大将になるように言われたときに、東軍(徳川方)が勝つと思っていた吉川広家は、輝元に行かないようにって言ったのに、輝元は大阪城に入城し、総大将に就任。戦場へは養子の毛利秀元に向かわせた。
このままじゃ西軍が負けて毛利家が滅亡するって思った吉川広家は黒田長政を通じて東軍、つまり徳川側に、寝返ることを条件に毛利家の領土を取り上げないでって頼んだ。
関ケ原の戦いの時、西軍から軍を出すように言われても、霧が濃いとか「兵士に弁当食べさせている最中」とか言って時間稼ぎして、軍を出さなかったのは有名らしい。
(「宰相殿の空弁当」っていうそうだが、そういうのあるよなあ、ちょっと考えあって、なんか妙な言い訳つけて、動かないっていうの。)
戦後、約束は変えられて、領地も112万石から、29万8千石に減らされた。
吉川広家は、自分がもらった周防国と長門国を毛利家に与えてと家康に頼んだ。
毛利をつぶさないためにこっそりやったことが、後になったら、そのせいでこんな没落!とか陰でこっそりやりやがって!みたいな怒りを買う・・・毛利秀元と吉川広家、孫の代まで仲悪かった模様。もっと長くかな。そういうのって、下手すると今現代まで続いてたりする。恨みが。
吉川広家に関して、自分が興味持ったのは、時間たっぷりあった岩国城で、資料を読んだから。
ああいうところにある説明って、古びた感じですごく退屈に見えるか、小田原城みたいに妙に派手で新しくてドラマチックにしているかのどちらかで、どっちにしろ自分はあんまり心惹かれないのだが、その日は、いかにこの見るところのないエリアで時間をつぶすか、ということで、ゆっくりゆっくり観光していたので・・・
友人は場内のコンクリートのフロアにあるベンチに座って扇風機の風を浴びて休憩していたので、自分だけ、展示物を見て回った。
8年かけて作った岩国城は、徳川幕府の一国一城の制のため、たった7年で壊すことになる。岩国、というか周防国には岩国城しかなかったのに、毛利秀元が長府櫛埼城を壊したから、こっちも渋々壊さないといけない感じになったっていうw
毛利家のためにがんばったのに、結構さんざん、気を遣い、しかもその後も、あの時お前がこうしたせいでこっちは!!そっちはいい扱い受けやがって!みたいな感じに恨まれたり、ごたごたあったみたいね。でもって、こっちにも内緒でそんなことを!激怒!とか・・・・
岩国城を壊す際には、ほんと壊したくなかったようで、さりげない壊し方したらしい。石垣部分はなるべく残して、上の方だけ壊したり・・・
今のコンクリートの岩国城は元の位置よりも50メートルほど崖に近い方に造ってあるので見晴らしもよく、岩国の飛行場まで見える。海の方の。
岩国城の天守閣最上階、こじんまりしていて落ち着くし、屋根裏的な楽しさがあるというか、居心地がいい。
しかし、空はますます雲行き怪しく。
まだ時間早いけれど、雷雨始まるとまずいなと、ロープウェイ乗り場へ戻った。
ロープウェイが来るまで時間あるはずなのに、なんかロープウェイががんがん動いていて、時間関係なく乗らせてくれた。
しかもスピード早くて笑った。
ロープウェイを降りたとき、まだ時間の余裕があった。
ぽつぽつと小さな神社や、噴水があったり、重要文化財的な建物がちょこっとあるものの、人によっては、「なんもないじゃん、ここ」って言いそうな、がら~んとした街並み。やることは特にない。
つれは退屈するかと思ったら、東京の普段と全然違うこののんびりとした感じが気に入ったようで、やっぱり旅は良いねえみたいなことを言っていた。
非日常の場所に行く気分転換の効果について思った。
ガイドブックにすごく取り上げられていた、種類の多いソフトクリーム屋は、実際には混ぜ物の種類多いんだろうなと思う、そそられない、屋台的な店だった。
珍百景扱いなのか・・・・
戻りの錦帯橋。
友人は、ここで転ぶ人多いと思う、とか、錦帯橋を恨むとかぶつぶつ。
タイミングよくバスが着て、乗ってすぐに、窓ガラスに雨粒が。
そして雷雨!
他に乗っていたおばあさんが、雷に驚きの声を上げ、近くにいたおばあさんに話しかけていた。
外を見るとばしゃばしゃの豪雨。
岩国の駅前がバスの終点なので、幸い濡れずに済んだ。
駅前近くにあるアンデルセンに行ってみたら、尾道や広島駅のアンデルセンと違って、地元のパン屋さんに名前だけアンデルセンってつけたのかなーって感じの店だった。
岩国はレンコンが特産らしく、レンコン入りの岩国海軍カレーパンというのが売っていた。
駅に戻って、電車が来るのを待つことにする。
駅に2軒カフェがあり、どちらもあんまりお得感ない。尾道は特別だったのだな。
広島でも場所によって・・あ!岩国は山口なのだった。
カフェで休憩していたら駅のアナウンスが聞こえた。
天候のためのダイヤ乱れ・・・・え!
電車止まったら、新幹線の時間に間に合わなくなるじゃん!!
またしても雷雨か。今回は二日とも雷雨に合わせて動くことになったな。
梅雨明け頃って旅行向けの時期じゃないなw今後の参考にしよう、と思った。
岩国についてはまた後日、写真で紹介する予定。
読んでくださりありがとうございます!