
嵐山に着いたので、まず腹ごしらえ。先ほど買ったパンをかわっぺりの座りやすいところで食べた。
嵐山のバス停降りた後はもう、人だらけだったが、歩けないほどではなかった。
渡月橋過ぎたあたりも、なんか高そうな店やらしゃれた店あって、そこらも人、並んでいた。若い観光客が多い。アジア系多めかも。
それらを抜けて、吉兆も過ぎたあたりだとちょっと空いてくる。
川の方眺めていたら、修学旅行生たちが慣れないボート漕ぎ、はしゃいでいた。
腹ごしらえも済んだし、と、最初の目的地へ。
おそらく、もみじの時期に最高に混むのではないかと思う、宝厳院。
その日は、ぽつぽつとしか、人いなかった。
もとは、室町時代創建の寺院だが、以前は違うところにあったらしい。
応仁の乱で焼失した後再建し、変遷を経て、ここに移転再興。
庭の見どころについて説明あった。
この黒い石は苦海をあらわしているそう。
苦海(人生)を渡って、三尊石であらわされている釈迦如来の話を聞きに行く獣石(十二支)。
渡り切れないもののために、舟石もある。
碧石にはなんと、2億年前の海に堆積した微生物やプランクトンが封じ込まれていて、龍安寺の手前辺りで産出した岩石。めっちゃ硬度高いらしい。
苔光ってないけれど、落ちた紅葉が可愛らしい。
こちらも岩石。
獅子っぽいから獅子岩。
ほんと人がいない。ちょっと紅葉している。庭師の方たちが、せっせと作業していた。
弘源寺とのセット券を買っていたのでこちらも見に来た。
見ようかどうしようか迷ってるらしき欧米人観光客がうろうろしていた。
先ほどの宝厳院は、天龍寺塔頭弘源寺境内に移転されたとあった。
こちらはずいぶんこじんまりと感じたが。
宝厳院もこちらも、細川家が創建した寺らしい。
創建時は、小倉山から二尊院、亀山までも寺領だったと。
幕末、長州藩の兵が試し斬りした傷。蛤御門の変っていう、長州藩と幕府勢力の戦いの頃、長州藩がこのあたりに陣をおいてたそうで。
ここの庭はガラス越し。嵐山を借景としている。
その後、清凉寺方面に行くために、嵯峨野竹林の小径の辺り通ったが、混んでるって言っても普通に歩ける程度ではあった。しかし人多いとただの竹の間の道みたいな雰囲気になってしまうかもね。
観光客、特に女子が喜んで撮影していた。
通りがかったので寄ってみた。野宮神社。ののみやって読むらしい。
説明的に、縁結びとの関係は特に書いてないね。
日本一っていうのは、日本にひとつ、って意味なのか?
色々とご利益系だからか?若い観光客多かった。
狭いところに色々ある感じが何か楽しげなのかも。
ずいぶんと看板文字が目立つ。
黒い鳥居、ペンキで塗り固めたような感じだった。
あんまり、木っぽくない。
この感じの込み具合。
前回来た時はコロナ時期だったからほんと人いなかったのだが、今のインバウンド爆増以前は静かだったのかなあ、コロナ抜きにしても。
この踏切を過ぎたらまた、どんどん静かな感じになる。
(続く)