ゴゾ島の見どころのひとつである中世っぽい町並みの紹介をする前に、
今更だが、マルタの国について、またしてもかなり乱暴に説明しておく。
・・・歴史って興味ないし、マルタに興味ないし、マルタの歴史知っても自分にはなんのメリットもない・・・・と思う人もいるかもしれないが、
人間って、なんか情報が繋がったり、わかった!って思う時に、快感を感じないか?
逆にもやもやしてると、落ち着かなかったり、しっくりこなくて不満感じたり。
自分は、マルタのガイドブックを見た時に、とにかく情報ごちゃごちゃしてて、
頭の中でマルタをまとめにくかった。
どれくらいの大きさなのかも気になった。
マルタのこと知ったところで、その知識が役に立つか分からないが、どこかで、
マルタへの語学留学流行中の話とか、
仮想通貨関係の法整備が整っていて法人税も低く、仮想通貨先進国と言われる(参照記事)という話を聞いたときに、
マルタ??????
とならず、
へぇ、マルタ・・・となるよう貢献出来たらと思いつつ
ちょっとだけマルタってこういう成り立ちの国、という紹介。
まず、マルタ共和国の大きさは東京23区の約半分(淡路島の半分・・・外務省情報)。
人口43万人(2016年)。
猫口70万匹以上(推定)。
観光客年間200万人以上。
(2019年3月発行の「マルタ 地中海楽園ガイド」による。)
マルタの名前にある、マルタ騎士団のもともとの名称
聖ヨハネ騎士団は、1113年にエルサレムで創設されたのだが、
何のために作ったかと言うと、十字軍のフォロー役。
怪我人救護のためのチーム!
というわけで、ヨーロッパ各地から集められたメンツは、
貴族の血を引く、家柄もいい、精神性も高い、
生涯独身でキリスト教のために生きる!修道士!
でもって、貴族の家柄なので、後継ぎとなる長男以外。
育ちのいい坊ちゃん?
聖ヨハネ騎士団の結成後、テンプル騎士団やチュートン騎士団ってのも創設されたらしいが、それらで頑張ってた。
が、1291年にイスラム勢力に追いやられる。
第一次十字軍のエルサレム征服から、イスラムによる奪還は200年ぶりというから、ほんと長い長い奪い合い・・・・
その時逃げた騎士団は難民化して、キプロスなどに渡ったようで。
だから、そこらへんの文化、似た感じのがまま続いているところあるのね。
ギリシャもイスラム大っ嫌いだもんね・・・・
聖ヨハネ騎士団は、その後、ロードス島(当時、東ローマ帝国の所有)に移り、
1308年にロードス騎士団と名称変更し、要塞作って、最前線として頑張った。
1522年、スレイマン1世率いるイスラム勢力、トルコ軍にロードス島は包囲されて、そこからまた逃げた先が、今のマルタ島。
・・・またしても200年も戦ってるw
ほんと、怨念だろう・・・・
1530年に、神聖ローマ帝国帝王カルロスが、自国領だったそこを、騎士団にあげて、騎士団はマルタ騎士団となり、居所を落ち着かせた。
マルタに住むための年貢は、年に鷹一羽だった。
マルタ騎士団は、キリスト教国各地から選ばれし者で成り立ってたと書いたが、
マルタに移ったときのフランス出身騎士団長ヴァレットが、マルタをがっちり要塞化し、
1565年からトルコと大激戦。グレートシージ。
トルコ兵5万人対
マルタ5000人(騎士団600人+傭兵)
今も残る旧市街イムディーナに逃げたり、エルモ砦で戦ったり・・・
(そのふたつも有名な観光地となってる)
2カ月の戦いの後、援軍8000人かけつけたとあるが、そこまでに両軍とも
相当減ってたかと。
4カ月以上戦った後で、マルタの勝利。
で、騎士団長ヴァレットの名前が、首都名、ヴァレッタに。
その後、平和になると、だれてくる・・・グレートシージの260年後・・・
1789年、エジプト遠征中だったナポレオンに簡単に占領される。
ナポレオンは、マルタの場所、欲しかったから!フランスへの中継地として。
急進的改革しようとしたナポレオンに不満持ってたマルタの人たちは、
フランスと仲悪かったイギリスに助けを求め、フランス軍を追い出した。
フランス統治時代はたった2年だったが、その後、イギリスに支配される時代となり、1814年には英国領に。
でもイギリスの統治は、フランスみたいに強引じゃなかったみたいね。
1964年には英領の中で独立、主権国家になった。
つまり、イギリスの影響受けた時代は結構ある。
だから、イギリス人は、マルタ、旅行しやすいらしい。英語通じるし。
と言っても、かなり変わった感じの英語で、もともとの土地名などは、アラブっぽい名前も多く、アラビア語をアルファベット表記にした?みたいな地名をよく見かける。ゴゾ島のビクトリアという地名も、もとは、ラバトだったらしい。
ラバトって、モロッコにもあるし。地名。
・・・・相当一部的に、マルタについて紹介した。
で、ゴゾ島である。ゴゾ島の人(ゴジタン)は、マルタの人(マルチーズ)と違う!という主張があるらしい。
ゴゾ島は、塩の産地でもある。
以上、「マルタ 地中海楽園ガイド」(伊藤ひろみ著)、外務省データ、wikiなどを参照したが、マルタについては、古代から現代まであっちこっちにかかわりを持たれた歴史があるので、そういう興味ある人には面白いと思う。
ゴゾの町並み紹介の前に、マルタ全体の話をしつつ、ありあまってるゴゾ島の路上の写真をはさんで、文章だけで飽きないようにごまかしたが、
次の記事ではゴゾ歩き、お付き合い願います。